〜シリーズ沖縄戦〜

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ごあいさつ

当クラブが3月23日から配信しました「沖縄戦シリーズ」は、9月7日の琉球列島降伏調印式「沖縄戦終了の日」をもって、今年の配信を終了いたします。フォローしてくださったみなさん、ありがとうございました。

 

沖縄には、「カタブイ」という言葉があります。

 

ある一定の場所だけ雨が降る現象、いわゆる、スコールまたは通り雨のことを、沖縄では「カタブイ」といいます。

 

「カタブイ」があった日は、ある場所ではザーッと雨が降るものの、その近所では太陽が照りつけて雨粒も落ちなかったりするのですが、そんな日の場合、

 

今日は雨が降った、今日は晴れていた、どちらも正しいことになります。

 

沖縄戦に関しては「カタブイ」があった日と同じで、ある場所ではこうだった、でも、別の場所ではその逆だったとか、

 

自分はこういう経験をしたが、別の誰かは違う経験をした…というように、それぞれの話は正しく、そのとき「あった出来事」なのです。

 

ある証言だけが正しく、別の証言は間違っているということは、ありません。

 

沖縄戦があったとき、

 

地上戦を経験した人もいれば、県外に疎開し、そこでまた辛い思いをした人もいます。

 

日本や天皇を恨んだ人たちもいれば、喜んで戦争やスパイ狩りに加担した人たちもいます。

 

兵隊に親切にされた人たちもいれば、脅されたり、スパイ容疑をかけられたり、中には虐殺されてしまった人たちもいます。

 

まわりの大人たちの言うことを信じ、学徒隊として戦場に行った学生もいれば、親に反対されて入隊しなかった生徒もいます。

 

最後まで「お国のために」と戦った人もいれば、生きるため出口を懸命に探し求めた人たちもいます。

 

「カタブイ」のように、同じ日に、砲弾の雨が降り続けた地域もあれば、米軍が降らせる鉄の雨が止んでいた地域もあるのです。

 

ひとりひとりの「沖縄戦の話」があり、そのとき、沖縄にいたすべての人たちの身に起きた出来事、それら全てが沖縄戦なのです。

 

沖縄戦の全容を知るためには、

 

当時の沖縄県民、日米両軍の将兵たち、朝鮮半島から連れてこられた人たちなど、なるべく多くの人たちの体験談や証言に耳を傾ける必要があります。

 

ブログ内で紹介した内容が、一般的に知られている「沖縄戦の話」と違っていたとしても、どちらかが正しいのではなくて、どちらも正しいのです。

 

ある特定の話だけを何度も聞いたり、発信力がある人たちが語る内容だけを聞いていると、それだけが「ホンモノ」に思えてくるのですが、

 

自分にとって認知的に耳触りのいい話だけを選びとり、それだけを「真実」として信じてしまうのは、大変危険です。

 

また戦争で亡くなった人たちや、語ることもできず他界した人たちの体験は、永遠に知ることはできません。語ることさえできない人たちの戦争体験には、想いを馳せることしかできないのです。

 

沖縄戦の全容を掴むには、戦争の主役であった日米両軍の動向や作戦、両国政府の政策や思惑も知る必要があります。

 

沖縄における米軍基地問題の原点は「沖縄戦」にありながら、私たち戦後世代は、あまりにも「沖縄戦」を知らない。

 

沖縄戦」をきちんと理解してこそ、はじめて沖縄の現実を理解し、基地問題の根底が可視化され、解決策を見出すことができるのではないか、と思うのです。

 

フォロワーの皆さん、

3月23日から170日間の投稿、

毎日お付き合い頂き、

ありがとうございました。

 

 

 

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子どもたちの平和な未来のために。

 

 

 

シリーズ沖縄戦 - 全リスト

沖縄戦アカウント (期間中毎日配信しています) 。

地獄の予兆 

1944年 3月22日 『第32軍 (沖縄守備軍) の創設』

1944年 8月22日 『対馬丸事件』

1944年 10月10日 『十・十空襲』

艦砲射撃

1945年 3月23日『米軍による沖縄攻略戦の開始』

1945年 3月24日『米軍の空爆と艦砲射撃』

1945年 3月25日『慶良間列島への上陸作戦前夜』

慶良間列島の戦闘

1945年 3月26日 『米軍、慶良間列島に上陸』

1945年 3月27日『米軍、慶良間列島を次々と制圧』

1945年 3月28日『慶良間の住民が集団自決』

1945年 3月29日『慶良間列島、死の島と化し米軍の海軍基地となる』

1945年 3月30日『激化する空と海からの攻撃』

1945年 3月31日『沖縄島上陸・前夜』

米軍上陸

1945年 4月1日『米軍、沖縄島に上陸』

1945年 4月2日『南北に分断された沖縄島』

1945年 4月3日『日米両軍の作戦変更』

1945年 4月4日『沖縄攻略のためのインフラ整備』

嘉数高地の戦闘 (4月5日~4月24日)

1945年 4月5日『沖縄にできた米軍政府 〜アメリカ世(ゆ)のはじまり〜』

1945年 4月6日『日本海軍の総攻撃』

1945年 4月7日『帝国海軍連合艦隊のさいご』

1945年 4月8日『首里の攻防・第1線』

1945年 4月9日『嘉数の戦い』

津堅島の戦闘 (4月10日~4月25日)

1945年 4月10日『米軍、津堅島に上陸』

1945年 4月11日『激しさを増す神風特攻』

1945年 4月12日『「この島を守っているのは兵隊だ」』

1945年 4月13日『生まれた疑心暗鬼』

1945年 4月14日『やんばるのゲリラ戦』

1945年 4月15日『北部の学徒隊 〜 県立第三中学校 〜』

伊江島の戦闘(4月16日~4月21日)

1945年 4月16日『伊江島の「六日戦争」はじまる』

1945年 4月17日『馬乗り攻撃と火炎放射器』

1945年 4月18日『戦場の女性たち』

1945年 4月19日『米軍の総攻撃「耕す戦法」』

1945年 4月20日『後方で進む基地建設』

1945年 4月21日『郷土沖縄を救え・郷土は自分で護れ』

小波津の戦闘(4月22日~5月2日) 

1945年 4月22日 『伊江島の集団自決』 

1945年 4月23日 『第1防衛線の崩壊』

1945年 4月24日 『津堅島の悲劇・前夜』

1945年 4月25日 『津堅島と北部山中の悲劇』

前田高地の戦闘 (4月25日~5月3日) 

1945年 4月26日 『前田高地の激闘始まる』

1945年 4月27日 『戦場の市町村長会議』

1945年 4月28日 『米軍の部隊交替』

1945年 4月29日 『それぞれの天長節』

宮城・仲西の戦闘 (4月30日~5月6日)

1945年 4月30日 『海兵隊の南下』

1945年 5月1日 『軍刀を振るって突撃』

1945年 5月2日 『私もウチナーンチューです』

1945年 5月3日 『戦勝前祝会』

1945年 5月4日 『日本軍の総攻撃』

運玉森の戦闘 (5月5日~5月22日)

1945年 5月5日 『最後の一人まで』 

1945年 5月6日 『連れていってください』

1945年 5月7日 『収容所の青空学校』

1945年 5月8日 『ドイツ降伏のニュース』

1945年 5月9日 『島の激変ぶり』

1945年 5月10日 『沖縄島からの脱出』

1945年 5月11日 『警察別動隊の沖縄脱出』

シュガーローフの戦闘 (5月12日~19日)

1945年 5月12日 『今帰仁村の住民虐殺』

1945年 5月13日 『村全体を破壊する命令』

1945年 5月14日 『“戦力”として必要』

1945年 5月15日 『戦闘と基地建設』

1945年 5月16日 『沢山のブリキの兵隊』

1945年 5月17日 『死者は血の海に横たわる』

1945年 5月18日 『まるで臭い生ゴミの山』

1945年 5月19日 『首里に迫る米軍』

首里の戦闘 (5月20日~5月31日) 

1945年 5月20日 『真っ赤な戦場』

1945年 5月21日 『雨と泥との闘い』

1945年 5月22日 『死ぬまで戦う運命』

那覇と与那原の戦闘 (5月22日~5月31日)

1945年 5月23日 『泥と死体とウジ虫と』

1945年 5月24日 『絶好の空襲日和』

1945年 5月25日 『米軍、那覇に進撃』

1945年 5月26日 『大移動の意味』

1945年 5月27日 『さらば、首里よ』

1945年 5月28日 『最前線に戻った海軍部隊』

1945年 5月29日 『首里城に侵入した海兵隊』

1945年 5月30日 『死の行進』

津嘉山収容陣地の戦闘 (5月31日~6月4日)

1945年 5月31日 『戦いはまだ続く』

1945年 6月1日 『残存兵の戦場』

1945年 6月2日 『破壊された琉球の文化財』

1945年 6月3日 『米軍、伊平屋島に上陸』

1945年 6月4日 『米軍、小禄半島に上陸』

1945年 6月5日 『日本海軍の抵抗』

南部の戦闘 (6月6日~6月23日)

1945年 6月6日 『沖縄県民の実情』

1945年 6月7日 『日本軍の住民対策』

1945年 6月8日 『地域で異なる沖縄戦』

1945年 6月9日 『米軍、粟国島に上陸』

国吉台地の戦闘 (6月10日~8月22日)

1945年 6月10日 『戦いは米軍の独り舞台となる』

1945年 6月11日 『住民は日本兵の盾』

1945年 6月12日 『どうか死んでくれーッ』

1945年 6月13日 『2人の少年の冒険』

1945年 6月14日 『アブチラガマへの攻撃』

1945年 6月15日 『戦利品への執着』

1945年 6月16日 『イモとサトウキビ』

1945年 6月17日 『生命を助けるビラ』

1945年 6月18日 『バックナー中将、戦死』

1945年 6月19日 『無敵皇軍参謀たちの最後の姿』

1945年 6月20日 『方面軍からの感状』

1945年 6月21日 『米軍の「沖縄作戦」終わる』

1945年 6月22日 『アメリカ世(ゆ)の始まり』

第32軍の終焉

1945年 6月23日 『第32軍の終焉』

1945年 6月24日 『敵は米軍ではなく友軍だ』

1945年 6月25日 『民間人捕虜になる』

1945年 6月26日 『作戦参謀の投降』

久米島の住民虐殺

1945年 6月27日 『銃殺された久米島住民』

1945年 6月28日 『沖縄の基地化と収容所』

1945年 6月29日 『続く久米島の悲劇』

アイスバーグ作戦終了

1945年 6月30日 『〝沖縄〟という米軍基地の建設』

1945年 7月1日 『日本本土襲撃のための出撃基地』

1945年 7月2日 『アイスバーグ作戦終了』

収容所と沖縄人

1945年 7月3日 『攻撃を受けた疎開民』

1945年 7月4日 『宜名真・辺戸住民斬殺事件』

1945年 7月5日 『残る敵は日本のみ』

1945年 7月6日 『軍作業』

1945年 7月7日 『ハワイに送られた捕虜』

1945年 7月8日 『沖縄人には時間もなく、人生もない』

1945年 7月9日 『この島を取りに来ている強い米軍』

1945年 7月10日 『沖縄愛楽園』

1945年 7月11日 『戦争マラリア』

1945年 7月12日 『収容所で再会』

1945年 7月13日 『ハンセン病患者と沖縄戦』

1945年 7月14日 『屋嘉収容所』

1945年 7月15日 『因果はめぐる』

1945年 7月16日 『沖縄の人々は順応である』

敗残兵

1945年 7月17日 『八原の脱出計画』

1945年 7月18日 『八原の軍作業体験』

1945年 7月19日 『陸軍病院配属兵の抵抗』

1945年 7月20日 『警部補の沖縄島脱出』

アメリカ世の収容所生活

1945年 7月21日 『生き埋め』

1945年 7月22日 『爆撃機は、北へ、北へ』

1945年 7月23日 『戦闘神経症』

1945年 7月24日 『それぞれの食糧事情』

1945年 7月25日 『戦争と性犯罪』

1945年 7月26日 『ウルマ新報』

1945年 7月27日 『地獄から天国にきた気分』

1945年 7月28日 『軍事基地の確立』

1945年 7月29日 『敵がきた!敵がきた!』

1945年 7月30日 『許されなかった帰島』

1945年 7月31日 『米陸軍と米海軍』

1945年 8月1日 『生きるためには』

1945年 8月2日 『国頭突破するためには』

1945年 8月3日 『沖縄人のための野戦病院』

1945年 8月4日 『戦場でひとりぼっち』

1945年 8月5日 『収容所から収容所へ』

1945年 8月6日 『ATROCITIES (残虐行為) in 広島』

1945年 8月7日 『久志地区』

1945年 8月8日 『ソ連、日本に宣戦布告』

1945年 8月9日 『地獄と化した長崎』

ポツダム宣言受諾

1945年 8月10日 『ジャップ・サレンダー』

1945年 8月11日 『歓喜に沸く連合国』

1945年 8月12日 『古知屋収容所』

1945年 8月13日 『八重山の沖縄戦』

1945年 8月14日 『宮古の沖縄戦』

「玉音」放送(8月15日)

1945年 8月15日 『それぞれの〝終戦の日〟』

1945年 8月16日 『戦争は終わったのか?』

1945年 8月17日 『悲しみのあとは歌』

1945年 8月18日 『〝終戦〟3日後の住民虐殺』

1945年 8月19日 『伊江島に降り立った日本降伏使節団』

終わらない戦い

1945年 8月20日 『見せしめのために殺す』

1945年 8月21日 『消えた村、消えた家』

1945年 8月22日 『投降の条件』

1945年 8月23日 『沖縄人と米軍基地』

1945年 8月24日 『阿嘉島から屋嘉収容所へ』

1945年 8月25日 『沖縄人とアメリカ兵』

1945年 8月26日 『マイナスからの再建』

1945年 8月27日 『連合国軍の日本進駐』

1945年 8月28日 『若い兵隊の自殺』

1945年 8月29日 『疎開と望郷』

1945年 8月30日 『日本全土がアメリカ世(ゆ)』

朝鮮半島から沖縄へ

1945年 8月31日 『牛馬以下にあつかわれて』

1945年 9月1日 『朝鮮から「商売」に来ている』

戦争とは国家とは

1945年 9月2日 『日本が降伏した日』

1945年 9月3日 『次々と降伏する日本軍部隊』

1945年 9月4日 『こんな国のために死ぬもんか』

1945年 9月5日 『祖国という観念』

1945年 9月6日 『ご苦労さまでした』

1945年 9月7日 『第32軍の降伏』

 

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