1945年 7月11日 『戦争マラリア』

〝沖縄〟という米軍基地

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第7建設大隊による工事。沖縄にて。弾薬運搬用桟橋と杭打ち機。(1945年7月11日撮影)

Construction by 7th CB on Okinawa, Ryukyu Islands. Ammunition pier and pile driver.

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第7建設大隊による工事。沖縄にて。水上機基地。駐機場と2本の舗装道路が見える。(1945年7月11日撮影)

Construction by 7th CB on Okinawa, Ryukyu Islands. Seaplane base, showing apron and two causeways.

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第7建設大隊による工事。沖縄にて。クレーンを利用した簡易浚渫機(1945年7月11日撮影)

Construction by 7th CB on Okinawa, Ryukyu Islands. Makeshift dredge (made from crane).

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第7建設大隊による工事。沖縄にて。珊瑚を掘削して出来た穴。ショベルや掘削機を使った作業の様子。水上機基地の埋立建設に使う珊瑚を掘り出すために行われている。(1945年7月11日撮影)

Construction by 7th CB on Okinawa, Ryukyu Islands. Coral pit, showing shovels and drilling operations supplying coral for seaplane base fill.
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第7建設大隊による工事。沖縄にて。以前日本側のものだった採掘場で稼働中の砕石機。(1945年7月11日撮影)

Construction by 7th CB on Okinawa, Ryukyu Islands. Rock crusher in use in former Jap quarry.

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第7建設大隊による工事。沖縄にて。(1945年7月11日撮影)

Construction by 7th CB on Okinawa, Ryukyu Islands.

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第7建設大隊の食堂と調理室の中。(1945年7月11日撮影)

Interior of Mess hall and galley at 7th N.C.B. on Okinawa, Ryukyu Islands.

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米軍の動向

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リパブリックP-47サンダーボルト“リトル・ロケット“の上で、撃墜した日本軍機の数を示すボードを掲げる第318戦闘機群第19戦闘機中隊のパイロットと地上作業員。

屋根にはスペランザ一等軍曹、P-47の機首の上にはカーネク伍長、機体の上には(左から)ワイア中尉、ケリー一等軍曹、マーズ二等軍曹、ギブソン中尉、ダウロ中尉、ジェス空軍将校。伊江島。(1945年7月11日撮影)

Pilots and ground crewmen of the 19th Fighter Squadron, 318th Fighter Group, clamber over Republic P-47 Thunderbolt ”Little Rock Ette” to hang scoreboard showing number of Japanese airplanes downed. On roof is M/Sgt. Sam T. Speranza. On frame above nose of P-47 is Cpl. Steven Cernek. Men standing on plane, left to right are: Lt. James G. Weir, Pittsburgh, Pa.; M/Sgt. Edward J. Kelly, Montgomery, Ala.; S/Sgt. Leroy V. Marz, San Bernardino, Calif.; Lt. Jesse Gibson of Longview, Texas; Lt. Vincent A. Dauro of Gulfport, Miss. and Flight Officer Jesse B. Hill. Paducah, Kentucky. Ie Shima, Ryukyu Retto.

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沖縄の地元の村で見つけた子猫を育てる海兵隊航空団戦闘飛行隊所属パラシュート整備員ストランスキー海兵隊伍長。アルゴンとシャトー・テリーと名づける。(1945年7月11日撮影)

Marine Cpl. Paul R. Stransky, 19, Milwaukee, Wisc., parachute rigger attached to a fighter sqd of a MarAir Wing, has two pet kittens he found in an abandoned native village on Okinawa. He has named them Argonne and Chateau Thierry. He is the son of Mr. and Mrs. Joseph Stransky, 4060 N. Farwell Ave., Milwaukee.

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そのとき、住民は・・・

戦争マラリア

マラリアのことを少し説明しましょう。

マラリア病は、ハマダラ蚊が、マラリア原虫を、人体に刺し込むとかかります。それが肝臓や赤血球などに入って、高熱や貧血を繰り返し、栄養が悪く体力がよわると死んでしまうのです。3日おき4日おきなど周期的に、または不定期に高熱をだし、布団を何枚かけても患者の震えがとまりません。しまいには看病人が上から押さえ付けるほどひどい震えがきます。』(25頁)

マラリアは戦争中、沖縄の各地で広がり、猛威をふるいました。戦争で山奥に避難したり、部落に帰ったりするなかでマラリア病が広がったのです。

ですから、戦争マラリア問題といえば、沖縄戦すべてのマラリア被害問題と考えるのが当然です。(実際にマラリアは、戦争中、宮古群島でも、沖縄本島でも広がり被害が多かったのです。)

ところが戦争マラリアのなかでも、「軍隊の命令」でマラリア有菌地に強制避難させられた人たちと、爆撃を避けた自主避難マラリアにかかった人たちとの違いがあるのです。』(31頁)

《「沖縄戦の記録   日本軍と戦争マラリア」(宮良 作 著/新日本出版社) 25、31頁より》

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マラリア防疫隊(撮影地: 安慶名)Malaria control team.

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医局による蚊・マラリア予防  Med. Dept Mosquito & Malaria Control.

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八重山地域の戦争マラリア

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 【沖縄戦の絵】「西表島・黒島 マラリアの惨禍」

八重山諸島の黒島に住んでいた絵を描いた女性の家族は、昭和20年3月ごろ、近くの西表島に避難した。絵には、西表島から再び黒島に帰って来るまでの出来事が一緒に描かれている。「山がない黒島には身を隠す場所がない」。沖縄戦を前に父親は家族をサバニ(舟)に乗せて西表島へ。山中にわらぶき小屋を建て、イノシシや貝などの食糧を集めて暮らした。ある日2機の米軍機が現れ、急降下しながら浜に機銃掃射。小屋にも撃ち込まれたが、家族は食糧探しに出ていて無事だった。しかし山中で暮らすうちに女性と両親がマラリアに罹患。最初に母親が命を落とした。母親を葬るため、父親はその日のうちに女性と兄をともなって再び黒島にこぎ出した。自分も罹患していた父親は、黒島の家の玄関にたどり着いたところで絶命。女性と兄は1日のうちに孤児になった。絵を描いた女性「アメリカの攻撃を受けたのはただ1回だけだったのに、マラリアに両親を奪われた。戦争がなければ父も母も死ななくてすんだ。悔しい」』

西表島・黒島 マラリアの惨禍 | 沖縄戦の絵 | 沖縄戦70年 語り継ぐ 未来へ | NHK 沖縄放送局

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マラリアの汚染した地域に薬を散布する第316兵員輸送部隊ダグラスC-47スカイトレイン。沖縄。(1945年7月11日撮影、撮影場所、散布地域不明)

A Douglas C-47 ”Skytrain” of the 316th Troop Carrier Command, spraying malaria infected areas of Okinawa.

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住民避難計画は軍の作戦上からなされたものである

米英軍が上陸した場合、小さな島嶼において住民が避難する場所は、海岸地区ではなく当然島中央部の山岳地帯である。軍は住民を複郭陣地の中に収容するとしたが、そのような計画は軍が計画しなくても敵が上陸すれば住民の避難は島中央部しかなかったのだ。

それよりも軍が、複郭陣地内指定地区へ住民を“退去”させたのは、防諜や住民の動向監視のためである。陣地構築、弾薬運搬に動員され、軍事施設の場所を知り尽している住民は軍にとって危険な存在であった。そのため敵の上陸する恐れのある海岸地区居住の住民は強制的に山岳地帯へ追いやられたのである。

住民が退去させられた指定地域は、マラリアを媒介するハマダラ蚊の生息地であった。』(188頁)

『45年のこの年、八重山群島において3674人がマラリアによって死亡した。』(189頁)

《「八重山の戦争」(大田静男/南山舎) 188、189頁より》

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マラリアの汚染した地域に薬を散布する第316兵員輸送部隊ダグラスC-47スカイトレイン。沖縄。(1945年7月11日撮影、撮影場所、散布地域不明)

A Douglas C-47 ”Skytrain” of the 316th Troop Carrier Command, spraying malaria infected areas of Okinawa.

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