1945年 8月22日 『投降の条件』

米軍の動向

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海兵隊新兵補充部隊で体育教官兼ボクシングのコーチをしていた第1海兵師団所属の2人の海兵隊員が沖縄の地元民にボクシングを教えている。元社交ダンサーでアマチュアボクサーでもあった海兵隊所属キングが右で構え、ノース及びサウスカロライナ州の元ミドル級チャンピオン、シーモア海兵隊3等軍曹(中央)が沖縄人に(ボクシングの)構えを教える。(1945年8月撮影)

Lesson in boxing---Two Marines of the First Div. formerly physical instructors and boxing coaches at the Marine Recruit Depot, Parris Is. and S.C., show an Okinawan native how to box. Marine Corp. Nathan King, 35, ex-ballroom dancer and amateur boxer of New York City, takes his stance at right while Marine P1/Sgt. Eddie Seymour (center) ex-middleweight champ of North and South Carolina, squares away the notice Okinawan.

写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館

 

 

第32軍の敗残兵

国吉(くによし・くにし): 歩兵第32連隊第1大隊(大隊長・伊東孝一大尉)

糸満の国吉台地に布陣していた伊東大隊は、第32軍による組織的な戦闘が終わったあとも、師団長雨宮中将の最後の命令に従い、およそ2カ月間、持久戦を続けていた

食糧はどんどん減り、体力は衰えていくばかりで、日々の恐怖が高じて精神錯乱を起こす兵も出はじめた。

8月14日夜、歩兵第32連隊の伊東大隊は、沖縄全土が花火大会をやっているような、赤い曳光弾の対空射撃や白い照空灯の光芒を目撃する。その日を境に、毎晩わずかながら飛んでいた特攻機が現れなくなった

18日昼、米軍の小型機が伊東大隊の陣地上空を飛来、「日本が無条件降伏を受諾したので、湊川方面に投降せよ」との内容のビラが撒かれた。

それから数日後の8月22日、既に投降していた日本兵が米軍将校と共に伊東大隊が潜む壕に現れた。米軍将校は日本語に達者で、日本の敗戦を告げ、伊東大隊に投降を求めた。

しかし、伊東大隊長は、日本の降伏を確かめる必要があるからと証拠を示すよう求めたところ、米軍将校は伊東大隊長を米第10軍司令部がある嘉手納飛行場へと連れて行くことにした。

《「沖縄戦 二十四歳の大隊長 陸軍大尉 伊東孝一の戦い」(笹 幸恵/Gakken) 253-277頁 より抜粋、一部要約》

 

阿嘉島(あかじま): 海上挺進第2戦隊(戦隊長: 野田義彦少佐/阿嘉島慶留間島)

米軍は慶良間諸島の島々に潜む日本兵に投降するよう呼びかけていたが、なかなか成果をあげることができないでいた。そこで、既に捕虜となった日本兵らを使い、投降を呼びかけることにした。そこで、偽の上官からの「命令書」を作成し、投降する名分を与えることにした。

8月22日午前

野田隊長は150人の部下と共に山を下りた。島は一木一草焼失し、白い岩肌を剥きだして殺風景な島に変わり果てていた。ただ、青い海と白砂だけが昔のままだった。白砂の海岸に着くと、そこにはアメリカ軍を代表してジュリアン・G・ハーン大佐以下数十人のアメリカ兵が待っていた。

午前10時、阿嘉島の降伏調印式が始まった阿嘉島守備隊が軍刀武器を引き渡した。沖には数隻のアメリカ軍艦が浮かび、空には航空機が編隊を成して飛び、阿嘉島の戦争終結を祝った。

守備隊の投降に続いて、多数の住民が投降してきた。38人の住民が担架で運ばれてきた。阿嘉島の長い、長い戦争は終わった。』(29頁)

《「沖縄戦トップシークレット」(上原正稔/沖縄タイムス社) 29頁より》

 

捕虜になった日本兵

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投降したばかりの日本軍少佐(左)と少尉の二人に尋問する海兵隊第1師団将校。マサイヨシカキ少佐、イシドサダミ少尉と名乗る二人は、天皇による「武器を下ろして降伏せよ」というラジオ東京の日本語放送を聞いてしぶしぶ降伏を決めた。少佐は米軍侵攻前に沖縄での防衛強化を監督していたが、戦闘の最後の激しい攻防の中、日本陸軍第32軍の指揮官と参謀長が「ハラキリ」を行ったときに居合わせた。 53日もの間この二人は生イモや草を食べながら昼は洞穴に身を潜め、夜になって移動するという生活を続けていた。 沖縄。(1945年8月撮影)

JAP OFFICERS SURRENDER AT OKINAWA: A First Marine Div. officer interrogates Jap officers (Major) left, and second Lt. who surrendered recently at Okinawa. The officers identified themselves as Major Yoshikaki Masai and Second Lt. Sadami Ishido. The two reluctantly surrendered after hearing a Japanese language broadcast from Radio Tokyo which convinced them that the Emperor had ordered his forces to lay down their arms. The Major had charge of fortifying Okinawa's intricate southern defenses before the American invasion. He later was present when the commanding general and chief of staff of the Jap 32nd Army committed hari kari[hara kiri] in the campaign's final, bitter days. For 53 days the two officers hid in caves by day and traveled by night, subsisting on raw potatoes and grass.

写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館

 

 

そのとき、住民は・・・

先島諸島沖縄戦

遭難した疎開民 ⑯ 

1945年(昭和20)6月末に始まった「尖閣遭難事件」の悲劇は、魚釣島で約50日間に及ぶサバイバル生活をした人々が決死隊を送り込み、ようやく石垣島と連絡がつき、8月18日に救助されたことで、ひとまず幕を引いたかのように見えた。

だが、新たな悲劇が数日前から進行していた救助船に乗れず、置き去りにされていた人々がいたのだ。

決死隊のために、アホウドリの肉や卵を確保しようと南小島に小舟で渡っていた、あの6人の男たちである。食料を手に入れたものの、魚釣島と南小島の間の潮流が激しく、決死隊が出発するまでに戻ることができなかった

ようやく魚釣島に戻れたのは、6人が南小島に渡って10日ほどを経てからで、その時には、魚釣島にいた人々全員が既に島を去っていた。数日前からまた無人島となっていた魚釣島には、6人の男たち宛てに一枚の書き置きが残されていた

「あなたがた6人の生命とこれだけ多数の生命をかえるわけにはいかないので一足先に救出されます。私たちが石垣島に帰り次第、すぐに救出船を出してもらいますので、しばらく頑張って下さい

6人のうち高齢の2人は、この書き置きを見て急に元気がなくなった

「自分たちは決死隊のために危険を承知で南小島まで行ったのに…。見捨てられた」と、落胆は大きかった。やがて気をとり直した6人は、生き抜くためにまず、寝泊まりの小屋を小高い場所へと移した。これは、付近を航行する船が発見しやすいようにするためだ。

その日から、さらに苦しい生活が始まり、それは1945年11月まで続くことになる

2人一組で三つの小屋で、高齢の2人が同じ小屋を使った。既に島の食糧らしきものは取り尽くされていたが、さほど不自由はしなかった。クバの木だけしかなかったが、1日に1本を倒し6人で食べた。子ガニもいたし、量的には満たされていた。

9月中旬のある日、高齢のうち1人が「具合が悪い」と寝込み、その翌朝に亡くなった。同じ小屋の高齢の男性は、声を出して泣いた。

それから2週間ー。夜中、その男性の小屋からうなり声が聞こえてきた。熱があり、気分が悪いと訴えた。翌日はクバの芯を取りに行くこともできず、他の4人が食事を作って与えたが、9月27日の朝、その男性も亡くなった。

11月のある日、台湾漁船が魚釣島の近くを航行し、ようやく残る4人が救出された。結局、石垣島から船が派遣されることはなかった

《 [74 尖閣諸島遭難(6)]6人取り残される - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース より抜粋、一部要約》

http://www.cas.go.jp/jp/ryodo/shiryo/senkaku/detail/s1969000000103/s1969000000103-p01.jpg

石垣市尖閣諸島行政標柱及び戦時遭難死没者慰霊碑建立写真

石垣市尖閣諸島行政標柱及び戦時遭難死没者慰霊碑建立写真 | 尖閣諸島資料ポータルサイト(Senkaku Islands Archives Portal)

 

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