1945年 7月4日 『捕虜収容所にいた画家』

〝沖縄〟という米軍基地

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嘉手納飛行場B滑走路から約50ヤードの場所にある第807工兵航空大隊ウォーター・ポイント。6×6トラックに引かれた散水車に4分の1マイル離れた小川から水が汲み上げられる。水は滑走路や道路を乾燥させないように散水される。(1945年7月4日撮影)

The 807th Engineer Aviation Battalion water point was about 50 yards from Kadena Strip B on Okinawa, Ryukyu Retto. The water was pumped from a creek about a quarter of a mile away to a sprinkling trailer pulled by a 6×6 truck. The sprinkler was used to wet down strips and roads continuously.

写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館

 

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牧港飛行場の第1166工兵隊による基地建設工事。(1945年7月撮影)

Construction progress of 1166th Engr. Combat Group at the Machinato airstrip.

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一見変わったこの機器は「ウォブル・ホイール・パッカー」と呼ばれ、滑走路の石灰岩から水分を取る働きをする。右はゼンダー一等兵伊江島(1945年7月撮影)

This peculiar looking piece of apparatus called a ”wobble wheel packer” is used to work moisture out of coral on runways. The men at right is Pfc. Edward Zender of Chicago, Illinois. Ie Shima, Ryukyu Retto.

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米軍の動向

日本軍陣地の調査

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先原崎灯台の真南の丘にある兵舎へ続く、通路の正面入り口。この入り口は丘の頂上近くにあった。後方中央に見える、先原崎灯台がある丘のふもとに注目。(1945年7月4日撮影、小禄半島)

Main entrance to Corridor leading down into Barracks on Hill directly south of Sakibaru lighthouse. The entrance was near the crest of the hill. Note the base of the hill holding Sakibaru Lighthouse in the center background.

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先原崎灯台の真南に位置する丘の地下にある食堂内部。兵舎や執務室、貯蔵室も備えたこの食堂は、地下80フィートの場所にある。手の込んだ造りの地下食堂にある、ライフル用の棚や部屋の奥行き、補強に使われている丸太、テーブルに注目。(1945年7月4日撮影、小禄半島)

A view within the messhall in the hill directly south of Sakibaru Lighthouse. This messhall with barracks, office, and storage quarters was located [80] feet below the surface of the earth. Note the rifle racks, the length of the room, the logs used for buttressing purposes, and the tables in this elaborate underground dining chamber.

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第32軍の敗残兵

捕虜になった日本兵

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かつて沖縄国防義勇兵で、画家の金城安太郎氏。第6海兵師団に捕らえられたが広報局の要請で絵を描くため営倉の外に出ることを許可された。(1945年7月4日撮影)

Various shots of Yasatura Kaneshiro, an Okinawan artist, former member of Okinawa home guard. He was captured by the 6th Marine Division and was allowed out of the stockade to paint pictures at the request of the 6th Marine Division Public Information Section.

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金城安太郎の作品

『1941年1・2月合併号 表紙絵金城安太郎「糸満娘」』

琉文21 » 1941年1・2月合併号 表紙絵金城安太郎「糸満娘」

 

 

そのとき、住民は・・・

先島諸島沖縄戦

遭難した疎開民 ⑤

前日7月3日、米軍のB-24爆撃機による機銃掃射を受けた疎開船2隻のうち、沈没を免れた第一千早丸(友福丸)は、7月4日尖閣諸島魚釣島にたどり着いた。同船は、前日の攻撃で機関長を失ったうえ、エンジン故障を起こしていたが、炎上沈没した第五千早丸(一心丸)の機関長は無事で、懸命の修理によりエンジンが始動したていた。

船を台湾に向けるか、石垣に向けるかで意見が分かれたが、機関が故障しても黒潮にのって宮古久米島に漂着できるとして、石垣に引き返すことにした。そのうち尖閣諸島の島影が見えたので、船は尖閣列諸島をめざしたのだった。

米軍機の攻撃や沈没による水死を免れた疎開民らは、下船するよう指示された。前日に地獄を乗りきった人びとは、台湾にたどり着いたと思ったが、上陸したのは無人島の魚釣島。この日から、飢餓と闘う過酷な無人島生活が始まった魚釣島における自給自足の生活は、50日近く続く事になる。(八重山の戦争/尖閣諸島遭難・1-3)

《「八重山の戦争」(大田静男/南山舎) 214-215頁、[69 尖閣諸島遭難(1)]無人島で飢餓地獄 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース および [71 尖閣諸島遭難(3)]餓死者の死臭 島覆う - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース より抜粋、一部要約》

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尖閣諸島情勢の概要 | 外務省

 

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尖閣諸島 | 外務省

 

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