1945年 5月4日 『日本軍の総攻撃』

日本機の襲撃

明け方から午前10時ごろまでに、米海軍は「カミカゼ」の攻撃をうけっぱなしだった。特攻4機が、駆逐艦モリソン号に突っ込み、艦は8分間で轟沈、154名の損害を出した。〝バカ・ボンブ〟がシーア号に命中し、艦は火災を発生して、25名の戦死者を出し、4室に浸水したが、さいわいにも沈没はまぬがれた。また渡具知方面の輸送船団の上を飛んでいた1機は、一斉射撃の砲火をあびたが、そのまま、真下にいたバーミンガム号の第2砲塔めがけて突っ込んだ。飛行機のエンジンは、三甲板をつきやぶり、250キロ爆弾は、艦内病室で爆発した。戦死傷は90名をかぞえた。』(313頁)

《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳/光人社NF文庫) 313頁より》

https://www.history.navy.mil/content/history/nhhc/our-collections/photography/numerical-list-of-images/nhhc-series/nh-series/NH-98000/NH-98129/_jcr_content/mediaitem/image.img.jpg/1438291146381.jpg

攻撃を受けた「バーミンガム号」

Damage caused by a Kamikaze which struck the ship's deck just aft of her Number Two gun turret, during operations off Okinawa on 4 May 1945.

NH 98129

日が暮れて、日本軍の特攻はますますひどくなった。1機が小型空母サンガモン号に突っ込み、甲板の上にあった21機を破壊した。甲板は火につつまれ、レーダーやブリッジ・コントロールが使えなくなった。5月3日の夜から4日の夜中にかけて、日本軍の飛行機は米軍艦17隻を撃沈し、あるいは破損させ、682名の死傷者が出た。だが一方、米軍も、飛行機や対空砲火で121機を撃墜した。』(313頁) 

《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳/光人社NF文庫) 313頁より》

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慶良間列島沖で米艦艇「サンガモン号」に特攻する日本機「彗星」(1945年5月4日)

[Photo] D4Y3 Suisei special attack aircraft diving at USS Sangamon as part of Operation Kikusui No. 5, off Kerama Retto, Ryukyu Islands, Japan, 4 May 1945 | World War II Database

 

日本軍の反攻

砲撃戦

5月4日日本軍の全火砲が地表に現した沖縄戦中、はじめてのことだった。あらゆる砲という砲が地上にひっぱり出され、そこから総反撃にあたって、1万3千発の砲弾を撃ち込んできた。大砲の周囲は、主として75ミリ高射砲で固めて米軍に小型機にそなえ、発砲にあたっては、砲火のきらめきをかくすため、煙幕弾を使用した。だが、この作戦は、かえって失敗を招いた

それは、米軍砲兵隊が攻撃したところ、日本軍が高射砲隊で応戦してきたので、その間隙を利用して、米軍機は、多くの日本軍砲兵陣地に対して正確な爆撃を加えることができたからである。

この日、米軍の砲兵隊は、日本軍の砲19門を破壊し、さらにつぎの2日間で40門も破壊した。このため日本軍は、その後ふたたび大砲を壕内にひき入れざるをえなくなった。』(312-313頁)

《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳/光人社NF文庫) 312-313頁より》

 

東部戦線

翁長(おなが)・那覇(おなは)

『米第7師団は、太平洋戦争でこれまで長いあいだ戦ってきたが、5月3日の夜ほど激しい砲撃をうけたことはなかった。日本軍のこの猛烈な砲火は、4日の夜中までつづいた。彼らは20ミリ砲にいたるまで、ありとあらゆる砲を使用して、5千回も撃ちつづけてきた。

…日本軍は、墨を流したような暗闇の中を、米軍戦線めざして進撃していった。そして、午前5時ちょうど、二つの火の玉があがった攻撃命令の合図だった。たちまち日本軍の猛烈な砲撃がはじまり、それは、いよいよ熾烈さを増していった。

翁長の村落から真北にあたる丘の上にいた第17連隊A中隊のガード兵は、驚いてとびさがり、峰の下に身をかくした。彼は、日本軍はもう攻撃してくることはあるまい、と安心しきっていたのである。』(306頁)

『…まもなく全中隊の戦闘となり、日本兵は峰の上から撃退された。その日本軍陣地には軽機三梃、迫撃砲4門のほか、多量の弾薬が放棄されたままだった。』(306-307頁)

…日本軍は、夜明けまでには、米第24軍団戦線の左翼に対して総攻撃を加えてくるだろうということが、しだいに明らかになってきた。…日本軍の第89連隊が命令どおり「遮蔽物を最高度に利用して敵に接近」しつつあったのだ。彼らはコニカル高地(西原村運玉森)の東側スロープを、気づかれないように前進して、低くなったところに出て、翁長東方の丘の周辺に集結した。(307-308頁)

『…第184連隊の第3大隊は、200名からなる日本軍の攻撃をうけたが、これを撃退した。すると日本軍は、つぎには小那覇の、いまは廃墟と化した村落に陣取って迫撃砲による砲撃を開始した。…米軍もまた、第32連隊の第3大隊が、この迫撃砲陣地に対して猛烈な砲火で報いた。この迫撃砲戦で日本軍は敗れた。しばらく激しい砲撃があって、それがやんだとみるや、日本軍の一将校が軍刀を抜いて、広場に兵を集めた。米軍の迫撃砲はこれを見て、兵が集まってくるのを見計らって猛烈な砲火をあびせた。

しかし、この将校は、これにひるむことなく、さらに兵に集合命令をかけた。だが、それは、結局、部下をむざむざ米軍の砲火のもとにさらすことにしかならなかった。ついに、彼自身も砲弾に当たって戦死した。

午前8時までに、第7師団は、その前線から、日本軍を手榴弾の着弾距離外まで撃退することができた。だが、日本軍はそれで攻撃を諦めたわけではなかった。おそらく、〝最後の一兵〟まで戦うよう命令をけていたからであろう。しかし、彼らは、米軍の餌食となるばかりであった。米軍は、日本軍の退路を重砲火で完全に遮断した。日本軍は、いまやにっちもさっちもいかなくなり、攻撃態勢に移ることもできない。かといって、退却もかなわず、米軍の砲火の前になすすべもなかった。』(309-310頁) 

《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳/光人社NF文庫) 306、306-307、307-308、309-310頁より》

 

中央戦線

前田(まえだ)・浦添丘陵

浦添丘陵の戦闘は、5月4日になって、いっそう激烈をきわめた。クーニー中佐の第1大隊は、洞窟トンネルトーチカの連鎖陣地に、一大破壊攻撃を試みて成功し、そこに陣地を築いて、日本軍の反撃にそなえたのである。この日の総攻撃で、第307連隊が倒した日本軍の数は、およそ600名。』(294頁)

《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳/光人社NF文庫) 296頁より》

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/86/Doss_Maeda.jpg/1385px-Doss_Maeda.jpg

前田高地頂上に立つドス一等兵

Doss on top of the Maeda Escarpment, 4 May 1945

Desmond Doss - Wikipedia

『前田高地の戦闘で、とくにめざましい働きぶりを示したのは、B中隊の衛生兵ドス一等兵であった。彼はセブンスデー・アドバンチスト教会の信者で、信教上、銃は持たないことになっていた。そのため衛生兵に回されたわけだが、高地攻略中、他の兵が撃退されても彼だけは頂上に踏みとどまり、何回となくロープで、負傷兵を下方に降ろし、洞窟から洞窟にとび回って、負傷者に救急手当をほどこし、こうして日本軍の猛砲火の中で、じつに多くの兵のいのちを救ったのである。』(296頁)

《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳/光人社NF文庫) 296頁より》

 

 

第32軍の総攻撃・初日

『「部隊は総力を結集し、各員、少なくとも米鬼一名を必殺すべし」』

《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳/光人社NF文庫) 303頁より》

 

航空機の攻撃

「菊水作戦・5号」発動

5月4日、晴。総攻撃に呼応する「菊水5号」作戦が、4日真夜中から開始され、陸海軍機59機が北・中と飛行場物資集積所を爆撃、海軍機37機が沖縄泊地の米艦船を攻撃、8時半から特攻機64機と「桜花」7機が突入した。なんといっても、機数が少なくなりすぎていた。』(249頁)

《「沖縄 Z旗のあがらぬ最後の決戦」(吉田俊雄/オリオン出版社) 249頁より》

 

東部戦線

5月4日午前4時50分、日本軍の大砲約200門はいっせいに猛烈な砲撃を始めた。東部戦線の米第77師団(浦添高地東側)と第7師団(東海岸道)はこの日、約1万2千発の砲弾をあびた。夜明けとともに日本軍(第24師団)は大規模に煙幕を使い、陣地をでて突撃を開始した。』(83頁)

《新装版「沖縄戦 国土が戦場になったとき」(藤原彰 編著/青木書店) 頁より》

http://www.ibiblio.org/hyperwar/USA/USA-P-Okinawa/img/USA-P-Okinawa-p294a.jpg

日本軍のロケット弾。米軍のものとは対照的に命中精度は低かった。(5月4日-5日)

JAPANESE LAND OFFENSIVE of 4-5 May was opened by rocket barrages. The erratic paths of enemy fire shown above are in sharp contrast with those of more accurate American weapons.

HyperWar: US Army in WWII: Okinawa: The Last Battle [Chapter 12]

 『午前5時、2つの火箭があがると、河が氾濫するような勢いで射撃がはじまり、東部戦線の西原高地では、身体ごとぶつかり合う白兵戦が、山々の尾根で戦われた。

戦場は、夜が明けるとともに、大規模に使った煙幕がおおい、いんいんとなりはためく砲声とともに、悽絶を極めた。』(249頁)

《「沖縄 Z旗のあがらぬ最後の決戦」(吉田俊雄/オリオン出版社) 249頁より》

八原高級参謀の回想:

『午前4時50分、友軍砲兵数百門が一斉に砲門を開いた。一瞬轟々たるわが砲声は敵を圧し、沖縄の全戦野に轟き渡った識名付近に陣する高射砲隊の砲弾が、ひときわかん高い音を立てながら、私たちの頭上を越えて、敵陣に落下するのも印象的である。』(277頁)

《「沖縄決戦 高級参謀の手記」(八原博通/中公文庫) 277頁より》

 

東部〜中央戦線 

棚原(たなばる)高地の奪取: 歩兵第32連隊第1大隊(大隊長・伊東孝一大尉)

夜明け、敵機は相変わらず我が物顔で飛び回っていた。…こんな状況では勝利の要因は何もない。総攻撃を中止すべきだ。…伊東は、聨隊長に攻撃中止を申し入れた。しかし聨隊本部からは、同情的な言い方ではあったものの攻撃を続行するよう命令してきた。…こうなったからには、すべてを今夜に賭けよう。今夜こそ突進の遅れを取り戻してみせる。たとえ全滅しても、必ず棚原高地を奪取するのだー。』(176-177頁)

《「沖縄戦 二十四歳の大隊長 陸軍大尉 伊東孝一の闘い」(笹幸枝/Gakken) 176-177頁より》

http://www.ourwwiiveterans.com/okinawa/maps/USMC-M-Okinawa-22.jpg

赤丸で囲まれたものが棚原高地での伊東大隊

Chapter 08 | Our World War II Veterans

5月4日22時、伊東大隊は第2中隊を第1線にして前進を開始した。…120高地西端斜面を匍匐前進することにした。…相変わらず頭上から敵の砲弾が注ぐ。…一弾が伊東のすぐ後ろで猛烈な音を立てて炸裂した。伝令兵など一度に20名ほどやられてしまった。しかしここで止まるわけにはいかない。ひたすら前進を続ける。右手から曳光弾がしきりに飛んでくる。排撃隊が闇の中に消えて、やがて敵火が沈黙する。これを繰り返し、敵を排除しつつ巧みに敵陣内に侵入していく。

…伊東大隊は敵の二重の防衛線を突破、ついに120高地の後方へ出た。右手の平坦地に、敵砲弾の薬莢が小山をなして積まれていた。敵砲兵は見当たらない。おそらく日本軍の進出を察知して、東へと退却したのだろう。

大隊本部の後ろにいた、江淵隆中尉(56期)が率いる工兵隊が左手に出てゆく。前田高地東端の114高地に向かったのだ。まもなく銃声がしきりと聞こえてきた。しかし暗くて詳しい状況はわからない。

いまや伊東大隊は、前田ー幸地の線まで進出したのだ。空が明るくなるまであと3時間。…「前進!前進!」…やがて大きな岩壁にぶつかった。…目標の棚原154・9高地は、まぎれもなくここだった。

…薄暗い空に、突如、照明弾が打ち上げられ、山頂の北東片隅の珊瑚礁台地を照らした。敵が伊東大隊の進出に気づいたに違いない。伊東はすぐさま大隊を円陣防御の態勢に配置した。…激しい奪回攻撃を受けるのは必至である。命令通り棚原高地を占領したが、今度はこれを確保して友軍の進出を待たねばならない。

…この間、大隊はただ防御の態勢を取っていただけではなかった。…大滝小隊は、さらに北方の棚原橋に達し、敵の集積所を襲っていた。また齋藤隊は、中央凹地にいた敵兵を全員刺殺して防備を固めていた。』(180-184頁)

《「沖縄戦 二十四歳の大隊長 陸軍大尉 伊東孝一の闘い」(笹幸枝/Gakken) 180-184頁より》

 

中央戦線

前田(まえだ)・浦添丘陵: 歩兵第32連隊

5月4日の未明、第32連隊は、9輌の軽戦車をもつ第3大隊を先攻に、米第77師団306連隊に対して攻撃開始を指示し、まず187高地の南東から攻撃をはじめ、首里から宜野湾に向かう第5号線道路の浦添丘陵の東端で、米第77師団に攻撃をしかけ、前田の近くで第306連隊の第1大隊の前線に突入した。このとき米軍の防禦陣は手薄だったが、米軍の自動砲火は、よくこれを迎撃して日本軍を撃退した。日本軍は、この攻撃で、わずかに一つの丘の上を米軍の手から奪還した。だが、戦果はそれだけであった。』(311頁)

《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳/光人社NF文庫) 311頁より》 

http://www.ibiblio.org/hyperwar/USA/USA-P-Okinawa/img/USA-P-Okinawa-p294b.jpg

擱座した日本軍の軽戦車

A knocked-out Japanese light tank is examined by a 96th Division soldier. All enemy tanks used in the predawn offensive 4 May were destroyed.

HyperWar: US Army in WWII: Okinawa: The Last Battle [Chapter 12]

『日本軍の戦車に対し、米軍は砲火をもって戦った。数輌の戦車が転覆し、残りの戦車も米軍歩兵の攻撃にあって退却した。日本軍歩兵が、夜明け前、その最初の目標である187高地東部の占領に失敗すると、怒った戦車第27連隊長村上大佐は、大胆にも戦車連隊の兵をもって、自ら歩兵1個中隊を編成し、攻撃してきた。

米軍砲兵隊は、このうちの1小隊を撃退して、かろうじて村上隊の攻撃を阻止できたと思ったが、陽があがってから、日本軍の残りの部隊も、米軍戦線の向こう側で、全滅状態にあるのを発見した。村上大佐は、後退命令をだしたが間に合わず、ついに全滅の憂き目にあったのであった。』(311頁)

『…攻撃を支援した全軽戦車は破壊されてしまった。米第306歩兵連隊は、午前7時30分までには日本軍を駆逐した。午前8時0分、第32連隊の第3大隊長は、ついに、「前田南東高台線では、中央部に進出、確保したが、それ以上の前進は、熾烈な敵砲火のため、きわめて困難であります。戦車隊の協力も得られません」と連隊長に報告した。(312頁)

《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳/光人社NF文庫) 311、312頁より》

八原高級参謀の回想:

前田仲間の高地が、相も変わらず薄気味悪く、戦場に突出している。それから手前、経塚沢岻石嶺のあたり、重畳する丘陵上には、焼け残った樹幹のみが枯れ薄のようにパラパラと立ち残り、部落という部落は、皆姿を消し、硝煙は谷間を這うて緩やかに動き、大小の砲弾は、所嫌わず全戦野に落下して黒煙を吹き上げている。春煙模糊たりしかつての平和郷も、今や幾万の将兵の血を吸うて、悪鬼羅刹の様相に一変している。…硝煙の間に間に、前田高地上に人影が見える。「米兵だろう」「いや友軍だ」と監視兵らが思い思いの意見を述べる。同高地は彼我争奪中だから、どちらともいえぬ。しかしその悠々たる行動よりすると、同高地を馬乗り攻撃中の敵兵と考えるのが至当のようだ。』(277頁)

《「沖縄決戦 高級参謀の手記」(八原博通/中公文庫) 277頁より》

 

軍司令部

午前中、軍司令部には、とくに東部戦線からの勝報がしきりに飛んで、歓声があふれた。』(249頁)

《「沖縄 Z旗のあがらぬ最後の決戦」(吉田俊雄/オリオン出版社) 249頁より》

正午やや前から、主力攻撃部隊である第24師団の状況がぼつぼつ判明した。「師団の右翼第89連隊は、予定の如く敵線に突入小波津北方高地斜面を進撃中」の第一報に皆気をよくする。続いて、二つ三つ景気のよい、しかし摑みどころのない報告が来る。

お昼ごろには、軍を始め各司令部は、何か大きなものを期待する空気が充満して、人々は攻勢の前途に自信を強めたかに見える

…中央歩兵第22連隊からは未だ確たる報告なく、攻撃前進しているのかさえさっぱりわからない。左翼歩兵第32連隊からは、前田高地を完全に奪回したとの報告に接しない首里山上の監視哨は、正午過ぎから戦場一帯の煙幕が薄れつつありと報ずる。発煙筒を使用し尽くしたのであろう。

朝焼けの後は雨だ。戦勢は急速に悲観的になる。本攻勢の花形、歩兵第89連隊の戦況は漸次不吉を訴えてくる。曰く、「第一線は、上原高地脚にへばりついたままである」。曰く、「敵艦砲や迫撃砲の集中で死傷者甚大」等々。』(279頁)

『左逆上陸は昨夜の攻撃相当成功したようではあるが、その後報告に接せず、右逆上陸は与那原出発後、間もなく敵に発見され、壊滅的打撃を受けた模様である。

5月4日の夕陽は、全軍悄然たるうちに第4坑道口の南方、集中する敵砲爆に黒煙濛々たる識名高地の彼方に没した。第24師団の攻撃は完全に失敗した、と判断して間違いはない。

得々然と気負い立って攻勢を主張した軍首脳部の人々は、うなだれて一言も発せず、お通夜のようなありさである。いよいよ明日は、全軍玉砕を覚悟し、幸地付近に総突撃を敢行しなければならぬ。』(280頁)

『軍の攻撃態勢ー攻撃活動はすでに実質的に死滅し、格好ばかりの攻撃態勢となっているーは5月4日夜からさらに5日に続いた。』(282頁)

《「沖縄決戦 高級参謀の手記」(八原博通/中公文庫) 279、280、282頁より》

 

 

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