1945年 5月3日 『戦勝前祝会』

南進する米軍

勢理客(じっちゃく): 第1海兵師団、第5海兵隊連隊

5月3日の戦闘も前日までと同じような戦いだった。海兵隊海岸線ぞいの低地帯を進撃しつづけていった。だが、まもなく、もしそのまま進撃していけば、部隊は小銃や迫撃砲の攻撃を、東側の丘からうけることは必定であるということに気づいた。総攻撃をはじめるとすれば、その前に、海岸線から東にのびる高台にある陣地はすべて片づけておく必要があることが明らかになったので、5月3日以後の攻撃計画では、主軸を南東のほう、この高台に向けることにした。(279頁)

《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳/光人社NF文庫) 279頁より》

 

仲間(なかま): 第307連隊

3日になって、同連隊の第1大隊は榴弾戦で死闘をくりひろげたが、日本軍もまた、反対側の丘腹から手榴弾や機関銃弾を雨あられのようにそそいで激しく応戦し、加えて遠距離から81ミリ迫撃砲で攻撃してきたのである。それはまったく地獄絵図だった。帰ってきた兵隊は、「もう二度とあんなところへなんかいくもんか」と叫んだ。だが、小隊長の話によると、そういった兵隊自身、5分もたつと、ふたたび手榴弾をもって引き返していって、栓をぬくが早いか、日本軍めがけて投げつけたのである。』(294頁)

《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳/光人社NF文庫) 294頁より》

 

幸地(こうち)・翁長(おなが): 第17歩兵連隊

5月3日の未明のうちに予備砲撃を加えてから、第1大隊が東から、第3大隊が西側からそれぞれ進撃し、共同作戦をとってC中隊は翁長の南西、幸地丘陵の東にあるハウ高地に進撃した。しかし、日本軍が猛烈に機関銃や小銃をもって反撃するのに加えて野砲、迫撃砲弾多数を撃ち込んできたので、米軍のこの進撃もすっかりだめになってしまった。第7師団が幸地丘陵を奪ることもできずに失敗ばかりつづけているので、第24軍団長のホッジ少将は、しだいに不安の色を濃くしていった。』(286頁)

《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳/光人社NF文庫) 286頁より》

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HyperWar: US Army in WWII: Okinawa: The Last Battle [Chapter 11]

 

日本軍による奇襲・対応

『…5月3日、西に陽が沈むとともに、日本軍は、…米軍前線に集中砲火をあびせ、各部隊はそれぞれの位置についた。3名ないし4名からなるしょうすうの兵がグループをつくって〝偵察突進隊〟とか〝左翼突進隊〟として、米軍の前哨地重機陣地通信施設集積所を攻撃し、煙筒を打ち上げて情報を後方の友軍に知らせよ、との命令をうけて進撃を開始した。

日本軍の戦車第27連隊は石嶺に転がり込むように進んできたが、その途中、数輌が米軍砲火の前にやられてしまった那覇の近くや与那原南の海岸には、海上輸送連隊が舟艇を集結して、攻撃準備をととのえていた。』(303-304頁)

5月3日の夕暮れ神風特攻隊が、米艦船団に襲いかかってきた。〝自爆機〟が1時間で5機も、アーロン・ウォード号に突入し、艦は炎上し、乗組員98名が死傷した。また別の3機は、爆弾をかかえたままリットル号につっこんで、これを撃沈させた。この急襲で、結局、米軍は軍艦2隻が沈没し、4隻が破損するという損害を出した。だが、米軍も飛行機や対空砲火で応戦して、日没までに特攻機14機と、ほかに22機を撃墜した。』(304頁)

《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳/光人社NF文庫) 304頁より》

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比謝川河口で神風特攻隊の攻撃をうけ、5月4日朝になっても燃え続ける米艦船

JAPANESE AIR AND SEA ATTACK on transports left supply craft beached and still burning the morning of 4 May. Scene above is near mouth of the Bishi River.

HyperWar: US Army in WWII: Okinawa: The Last Battle [Chapter 12]

『日本軍はまた、読谷飛行場にも集中爆撃を行い、その他の海岸施設も攻撃した。船舶工兵26連隊の将兵数百名が戦車砲、重機、軽機のほかに何千個の爆雷をもって、読谷と嘉手納両飛行場下方の上陸地点めざして煙幕をはりながら進んできた。ところが、彼らは方向を誤って、米軍が強固な防衛陣をしいている地点にきてしまった。

午前2時ごろ、小湾にいた第1海兵師団の兵が、護岸から、目ざとく10隻の舟艇が進んでくるのを発見して、ただちに集中攻撃をあびせかけた。海軍は照明弾を打ち上げて海面を照らし、1千発もの弾丸を撃ちまくった

…ところが、米軍のこの攻撃にもかかわらず、かなりの日本兵が海岸にたどりついた。…小湾に侵入した兵たちは、後で海兵隊掃討されてしまった。…わずかばかりの兵が、北谷から2キロほど南の伊佐浜に逆上陸して北谷に向かったが、難なく米軍包囲網にあい、翌日は殲滅されてしまった。』(304-305頁)

《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳/光人社NF文庫) 304-305頁より》

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逆上陸した日本軍を掃討する際に負傷した海兵隊員がLVTに運ばれた様子

WOUNDED MARINES are placed in the shelter of an LVT while mopping-up operations proceed against survivors of the Japanese counterlanding. (Navy photograph)

Chapter 08 | Our World War II Veterans

一方、沖縄東海岸での船舶工兵連隊は、なおみじめだった。数百名の兵が、各種各様のボートに乗り込み、なかには防衛隊にくり舟を漕がして北進し、米第7師団戦線の後方に上陸を試みたが、ほとんどが途中で、中城湾にいた米軍艦や第7師団の偵察隊、さらに、陸上の第776水陸両用戦車大隊の攻撃にあって、あえない最期をとげた。日本軍の海からの逆襲は、完全な失敗を喫した。…船舶工兵隊は、その後、二度とは逆襲はを試みなかった。生き残った兵は歩兵として沖縄戦に参加した。』(305頁)

《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳/光人社NF文庫) 305頁より》

 

 

第32軍の動向

総攻撃・前夜

首里平良(たいら)町: 歩兵第32連隊第1大隊(大隊長・伊東孝一大尉)

3日夕刻、146高地と120高地の奪取を師団長が賞し、恩賜の煙草が連隊本部を通じて伊東大隊と第89聨隊第2大隊に贈られた。もとより聨隊本部は、奪取に成功しなかった第89聨隊第2大隊には渡さなかったと聞く。伊東は、最後の打ち合わせのために大隊本部を訪れていた工藤、岸、高井の各隊長たちと煙草を分けあった。4人とも言葉少なにそれぞれの感慨に浸りながら煙草を胸深く吸い込んでいた。

(今となっては万難を排し、棚原高地を目指して突進するだけだ)

伊東は部下の各隊長をぐるりと見渡した。皆、黙っている。

24時、第3中隊(1個小隊欠)が第一線となって前進を開始した。…やがて前方から激しい銃声が聞こえた。…銃声に交じって擲弾筒の発射音がする。第3中隊が敵と銃火を交えているのだ。…「第1小隊はほとんど全滅、…中隊指揮班半減です」…「あそこまで出ると皆やられます。どうしても駄目です」

振り返ると、銃火に引き寄せられて各隊がどんどん前進してきている。狭いところに大隊の全兵力が集まってきてしまった。…空も白み始めてきた。ぐずぐずしていると全滅だ。

足下には部下の屍が累々と横たわり、重症の兵が呻いている。…「もとの位置で防御配備につけ!」すると誰かが「退却!」と叫んだ。伊東は声を荒げた。「退却ではない!もとの位置につくのだ!」…大隊は各隊長や副官の指示に従い、迅速に昼間防御の態勢に移った。』(171-176頁)

《「沖縄戦 二十四歳の大隊長 陸軍大尉 伊東孝一の闘い」(笹幸枝/Gakken) 171-176頁より》

 

逆上陸部隊

5月3日の昼間は、何一つ新しい動きは見えず、第1線で死闘を繰り返していたものが、日が落ちると同時に、日本軍は「爆発的に」行動を開始した。

総攻撃の口火は、まず、3日夜、陸軍舟艇部隊(船舶工兵1コ連隊基幹の逆上陸部隊2つ)の出撃で切られた。西逆上陸部隊は、約700名。大発約10隻、その他クリ舟、特攻艇多数に分乗、那覇付近を出、煙幕を張りながら約9キロの海を大山に向かい、東逆上陸部隊は約500名、与那原付近を出、約6キロの海上を津覇に向かい、それぞれ米軍第1線の後に回り、奇襲上陸しようとした。

しかし、小舟であっても、多数の舟艇が動けば、白波も立つし、夜光虫もキラキラする。その上、夜のことで、西逆上陸部隊は方向をまちがえ、米軍の防衛陣の中に突入した。2キロばかり進んだ小湾沖に接近中、陸上から米軍に発見され、猛烈な集中射撃を浴び、海上の艦艇からも照明弾を打ちげられ、射撃を受けるという最悪の事態になった。もはやこれまで。意を決した佐藤連隊長は、大発を海岸にノシ上げ、米軍と交戦、大部分は海岸で戦死。一部のクリ舟に乗った部隊約65名は、目的地大山を通り越して、伊佐まで行ったとき、米軍に発見され、上陸して交戦したが、ほとんど戦死。

一方、与那原を出た東逆上陸部隊は、目的地の3キロで米艦艇に発見され、照明弾の下で陸海から猛撃され、ほとんど全滅。期待された逆上陸は、こうして東西両海岸とも失敗に終わった。』(247-248頁)

《「沖縄 Z旗のあがらぬ最後の決戦」(吉田俊雄/オリオン出版社) 247-248頁より》

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逆上陸で使用されたものと同じ舟艇「大発」(発見場所: 那覇

Some 48-foot folding landing craft, a type used by the Japanese in their attempted surprise landing during the night of 3-4 May, were found at Naha after its capture.

HyperWar: US Army in WWII: Okinawa: The Last Battle [Chapter 12]

 

 軍司令部

『左右逆上陸隊が、粛々として暗夜の海上を、決死進撃の最中5月3日夜戦勝前祝会が牛島、長両将軍の居室になっている壕内で開催された。…洞窟の中ではあるが、電灯は明るく、食卓の準備も綺麗にできあがり、酒も不足せずご馳走はかん詰め材料ながら本職の料理人の手になり、相当なものである。

各将軍はアルコールの回るにつれ、朗らかになり、明日の戦いを語り、必勝を論じ、談笑尽きない。盛装の娘たちが、華やかに酒間を斡旋する。自身に満ちた、和やかな楽しい空気が洞窟のすみまでゆきわたり、ご馳走にありつけぬ、幕外幾多の将兵もなんとなく楽しくなる。』(274頁)

『幕間にかいま見える将軍中、たれ一人として明日の戦い・・否、すでに今夜、その先鋒は、東西両海岸に沿い、汐吹雪を浴びて、必死攻撃に移っている。・・を憂うる気配は見えない。立派な態度、悠々たる将軍振りである。…歓談数刻、「天皇陛下万歳!第32軍万歳!」の唱和を最後として宴は散じた。』(275頁)

《「沖縄決戦 高級参謀の手記」(八原博通/中公文庫) 274、275頁より》 

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琉球朝日放送 報道制作部 ニュースQプラス » 65年前のきょうは1945年5月3日