1945年 6月29日 『続く久米島の悲劇』

〝沖縄〟という米軍基地

http://www.archives.pref.okinawa.jp/USA/14-42-2.jpg

1945年6月29日管制塔から眺める泡瀬飛行場。7月1日の作戦までの完成をめざして作業する第36海軍建設大隊のブルドーザー、スクレイパー、ローラー。(1945年6月29日撮影)

Awase Airstrip as it looked from the control tower on 29 June 1945. Bulldozers, scrapers and rollers of the 36th Naval Construction Battalion were working to complete the field for operation on 1 July 1945. Okinawa, Ryukyu Retto.

写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館

 

http://www.archives.pref.okinawa.jp/USA/15-07-4.jpg

第36海軍建設大隊による泡瀬飛行場の管制塔建設。この5000フィート滑走路は1945年7月1日から操業予定。(1945年6月29日撮影)

The Control tower at Awase Strip as it looked prior to completion by the 36th Naval Construction Battalion on 29 June 1945. Operation date for this 5000 foot strip was set for 1 July 1945.

写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館

 

http://www.archives.pref.okinawa.jp/USA/14-42-1.jpg

泡瀬飛行場で仕上げに砂利をまく第36海軍建設大隊のブルドーザー。(1945年6月29日撮影)

An earthmover of the 36th Naval Construction Battalion, spreading gravel for finishing touches on Awase Airstrip, Okinawa, Ryukyu Retto.

写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館

 

http://www.archives.pref.okinawa.jp/USA/327213.jpg

那覇の第521補給部隊のクラスII物資置き場。(1945年6月29日撮影)

Area of Class II Quartermaster Dump, part of 521st Quartermaster Group at Naha.

写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館

 

 

第32軍の敗残兵

住民を虐殺した日本軍残党

久米島住民虐殺事件 ②: 1945年6月29日

久米島(くめじま): 久米島電波探知機部隊(隊長: 鹿山正 海軍兵曹長

6月29日久米島9名の住民が殺された。今回、日本軍によって殺されたのは、字北原の区長警防団長16歳の少年を含む計6名の男性と、3名の女性である。

約2週間以上も前の13日夜、米軍は久米島上陸に向けて潜水艦を派遣し、偵察を行っていた。その夜、14、5人の米兵が久米島の西海岸にある具志川村字北原に上陸し、午後11時過ぎに集落内にある牧場の掘立小屋を取り囲んだ。牧場には、沖縄本島の本部(もとぶ)から移り住んでいた夫婦と16歳の弟の3名が暮らしていた。16歳の弟が拉致されたほか、隣の住民1名と他1名の計3名の男性が米兵に連れ去られた

翌14日、16歳の義弟を連れ去られた男性は、農業会仮事務所へ出向き、この件を報告した。久米島に駐屯する海軍通信隊の鹿山兵曹長は、その情報を得た後すぐに「米軍と接触したものが帰ってきた直ちに軍駐屯地に引き渡すこと。その命令に違反したものはスパイとみなしその家族はもちろん警防団長、区長は銃殺する」という命令文を出していた。

拉致された3名のうち2人は、米軍の久米島上陸から数日後に帰宅したが、戦況の悪化の中で兵曹長の所在もわからず、帰宅は報告されなかった。そのため、鹿山兵曹長29日布告通りに米軍と接触した3名とその家族、警防団長、区長の計9名を刺殺した銃剣で殺した後、家に火を放った。翌朝、住民らが焼跡へ行ってみると、黒焦げの死体は針金で縛られており、それぞれ数ヶ所に穴があいていた

責任をとらされて殺された区長と警防団長の家族は、日本軍の制裁を恐れ、埋葬すらできなかった。海岸を制圧した米軍と、山中にたてこもる日本軍に挟まれた久米島の住民たちは、鍾乳洞を避難壕として、奥深くに潜んでいるよりほかなかった。(太平洋戦争と久米島 24-25頁/QAB/沖縄の怒 21頁)

《「太平洋戦争と久米島」(上江洲盛元 編著/あけぼの印刷株式会社) / 24-25頁、

琉球朝日放送 報道制作部 ニュースQプラス » 特集 島は戦場だった 封印解いて語る思い および 

琉球朝日放送 報道制作部 ニュースQプラス » 語り継ぐ沖縄戦2011 (2) 久米島住民虐殺ひも解く証言、「沖縄の〈怒〉 日本への抵抗」(ガバン・マコーマック+乗松聡子 著/法律文化社) 21頁より抜粋、一部要約》

https://daysjapan.net/wp-content/uploads/2015/09/DSC_0049.jpg

『日本軍部隊「鹿山隊」によって子どもたちを含む久米島の2家族と区長ら9人がスパイ容疑で殺された跡(北原地区)。鹿山隊は家ごと焼きはらい、今は井戸だけが残る。写真はすべて沖縄県久米島。2015年8月22日 Photo by Ryuichi HIROKAWA』

daysjapan.net

youtu.be

久米島での住民虐殺 | 琉球放送

 

 

そのとき、住民は・・・ 

http://www.archives.pref.okinawa.jp/USA/325936.jpg

住民に対する救急処置を管理する米海兵隊フランコヴェウギア中尉の補佐をするサンフランシスコ生まれのタイラ・メアリー。彼女は11歳の時に沖縄に戻ってきた。(1945年6月29日撮影)

Mary Taira, San Francisco-born, who returned to Okinawa when she was 11 years old, assists Lt. (JG) Nick Frankovelgia, USMC, administer first aid to a native.

写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館

 

■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■