1945年 4月16日『伊江島の「六日戦争」はじまる』

 日本機の攻撃

九州にある飛行場は、米第58機動部隊がたたいた。だが、それにもかかわらず、日本機は15日と16日、ふたたび相当な数をもって沖縄上空に現れた。16日の空襲では、神風1機が、空母イントレピッドの飛行甲板に体当たりしたのをはじめ、他の特攻機も10隻の船舶に損害を与え、駆逐艦1隻を撃沈した。この米軍の損害に対し日本側も270機が撃墜された。』(123頁)
《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳/光人社NF文庫) 123頁より》

f:id:neverforget1945:20170415205213j:plain

特攻機の攻撃を受けた米空母「イントレピッド」

[Photo] USS Intrepid smoking and listing after being struck by a Japanese special attack aircraft off Okinawa, 16 Apr 1945. Note the volume of water from the fire fighting efforts pouring out of the hangar deck. | World War II Database

http://ibiblio.org/hyperwar/USMC/USMC-C-Okinawa/img/USMC-C-Okinawa-p23.jpg

日本機による夜間攻撃を高射砲で応戦する米軍(読谷飛行場)

Japanese night raiders are met on 16 April with a spectacular network of antiaircraft fire by Marine defenders based at Yontan airfield. In the foreground, silhouetted against the interlaced pattern of tracer bullets, are Corsairs of VMF-311. Department of Defense Photo (USMC) 118775

THE FINAL CAMPAIGN: Marines in the Victory on Okinawa

 

本部(もとぶ)半島・八重岳の攻略

4月16日の八重岳に対する攻撃は、その前日、海兵第4連隊第1大隊のかちとった陣地を最大限に利用するような作戦がとられた。海兵第29連隊の第3大隊と、海兵第4連隊の第2大隊が、八重岳の西部戦線にそって圧力をくわえている間に、同じ連隊の第1大隊と第3大隊では、前線を越えて八重岳頂上を確保すべく北部から攻めることになった。

海兵第29連隊は、伊豆味ー満名の進路を南西部に移動させ、東側から、大きくうねった山の北部を攻撃できるような場所に陣取る。海兵第22連隊の第1大隊は、それまで予備軍として配置されていたが、16日には、南部の海兵第4連隊と海兵第29連隊の間の穴をうめるため、その中間に置かれた。

4月16日の朝早く、海兵航空隊や砲兵、海軍砲が支援する中を、海兵第4連隊の第1大隊は、八重岳の険しいスロープをあがっていった。これを見ていた日本軍の迫撃砲が、このとき、いっせいに砲火をあびせてきた。が、海兵隊の先鋒は、すでに密林におおわれたスロープをのぼっていたが、これは明らかに日本軍の目から逃れえたのであろう。

しかし、峰の頂から、およそ90メートルほど離れた岩肌もあらわな山腹をあがっているとき、突然、日本軍の迫撃砲や手榴弾がとんできて目のまえの山腹で爆発し、遮蔽物もないので米軍は森の中に引き退らざるをえなかった。

右翼線(南東側)では、他の海兵隊が、ライフル銃で応戦しながら小さな谷間を進撃し、そのあと、他の大隊と合流して一気に山頂にかけのぼり、日本軍防衛陣地内に突撃を敢行した。その日の午後、第1大隊は、ついに八重岳頂上を制圧した。日本軍はあるいは死に、あるいは八方に散っていった。』(135-137頁)

《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳/光人社NF文庫) 135-137頁より》

http://www.ourwwiiveterans.com/okinawa/maps/USMC-M-Okinawa-15.jpg

Chapter 06 | Our World War II Veterans

4月16日の夕方、八重岳の別の峰から、日本軍がなにやら忙しそうに動いているのが見えた。それは、日本軍が反撃態勢をととのえようとしげいるものと見られた。米軍は、そうさせてはならじと迫撃砲やその他の砲で猛烈な砲火をあびせた。大隊本部では、その間、手のあいている者は、急いで弾薬を山のうえに運んだ。午後6時50分、予想どおり日本軍が突撃してきた海兵隊は確保した陣地を守って応戦し、およそ100名の日本軍を撃滅した。

その夜、大隊は山を下ることなく、その場で夜を明かしたが、一中隊は危険を感じて、東と西の険しいスロープを退がって行った。八重岳の頂上は制圧したが、八重岳全体が制圧されたわけではない。まだ大部分が未占領地域である。』(137頁)

『シャプレイ大佐の率いる海兵隊南側の山を攻撃しているとき、片方では、海兵第29連隊が北東から八重岳に迫っていた。もともと第29連隊は、伊豆味ー満名の線の北部にある山を占領することになっていたが、八重岳付近で日本軍の斥候隊と衝突したので、南西の方向へ進路を変えたのである。ところが、この山の南西部は攻撃し難い地形だった。海兵第29連隊は日本軍の陣地を探すため、4月16日、17日のまる二日をついやした。この偵察隊は、5、6回、日本軍のはげしい迫撃砲の砲撃をうけて退却したが、第29連隊は、徐徐にではあったが山の峰の方向に一歩一歩近づいていった。』(137頁)
《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳/光人社NF文庫) 137頁より》

  

周辺離島の制圧

伊江島(いえじま)・上陸日

『第5艦隊の戦艦2隻、巡洋艦2隻、駆逐艦7隻が、4月16日の暁伊江島めがけていっせいに猛烈な艦砲射撃の砲火を開いた。LCTは海岸の上陸地点にロケット弾や曲射砲で一斉射撃を浴びせ、支援砲艦や上陸部隊の乗った船の護衛艦から発射された幾千という40ミリ、20ミリ弾が弧をえがいて伊江島の海岸に落ちた。飛行機からは爆弾が投下され、ロケット弾が発射され、無数のナパーム弾が海岸やその後方に落とされた。炎ともえたナパーム弾が弾薬庫や、ガソリン貯蔵所を爆発させ、一瞬、黒煙や砲塵が中天高く舞い上がり、2、3分後には伊江島は真っ黒い煙でつつまれた。その中に一すじの白い煙がさっと一吹き横に流れた。その向こう側に、ロケットや砲を乗せた軍艦が見える。一すじの白い煙は、上陸準備が完了したとの合図であった。』(148頁)

《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳/光人社NF文庫) 148頁より》

f:id:neverforget1945:20170415213117j:plain

[Photo] TBM Avenger torpedo planes of Composite Squadron 84 from USS Makin Island flying over Ie Shima, Ryukyu Islands, Japan, 16 Apr 1945 | World War II Database

http://www.ibiblio.org/hyperwar/USA/USA-P-Okinawa/img/USA-P-Okinawa-p155.jpg

米海軍機からロケット弾を投下された城山

ROCKETS OVER IE SHIMA, fired by a Navy airplane toward the Pinnacle. Beyond, to the south, are Ie and Government House, almost obscured by smoke of preinvasion softening-up. Dark area (upper right) is nose of plane

HyperWar: US Army in WWII: Okinawa: The Last Battle [Chapter 7] 

『LSTから上陸用舟艇への乗りかえは順調に進んだ。午前6時5分、上陸用舟艇に乗り移った全員は、集合地点で隊列をととのえた。水陸両用戦車は真後ろに水陸両用車を従え、うなりを立てて海岸から3千メートル離れた出発地点を海岸へ向けてすすんだ。天気は晴朗、波は静かだった。水陸両用戦車も両用車も、巡洋艦駆逐艦、LCTの位置を過ぎて哨煙まだくすぶる海岸へ向かった。上陸部隊第一波が海岸に近づいたとたん、後方の支援軍が伊江島内部にむけて艦砲射撃を開始した。』(148-149頁)

《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳/光人社NF文庫) 148-149頁より》

http://www.ibiblio.org/hyperwar/USA/USA-P-Okinawa/img/USA-P-Okinawa-p158a.jpg

伊江島の海岸を目指す米軍の水陸両用舟艇

INVASION OF IE SHIMA was well prepared but met considerable opposition. Assault boats (above) approach the island as supporting shell fire is lifted from the beaches and moved inland.

HyperWar: US Army in WWII: Okinawa: The Last Battle [Chapter 7]

午前7時58分ー予定より2分早くー第305連隊第1上陸大隊の先発隊は飛行場の真南にある伊江島南部海岸に上陸し、3分後には同連隊の第3上陸大隊が、左翼(西側)へ550メートル離れた別の海岸へ上陸を開始した。

部隊は高い砂丘を越えて迅速に進撃し、海岸の北方より360メートル離れた高台に沿って走る道路に達して、第1大隊は東に向きを変えた。この高台から伊江島の町までは、おそるべき多くの地雷が敷設してあるのだ。たとえ急いで敷設したためカモフラージュが十分でなかったとはいえ、これは水陸両用戦車や自動推進砲の移動を非常におそくした。第3上陸大隊は島内に入るや東方に進撃して村落の方に向かい、その左翼は滑走路東端のちょうど南側にさしかかった。(149-150頁)

《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳/光人社NF文庫) 149-150頁より》

http://www.ibiblio.org/hyperwar/USA/USA-P-Okinawa/maps/USA-P-Okinawa-19.jpg

HyperWar: US Army in WWII: Okinawa: The Last Battle [Chapter 7]

午前8時7分、第306連隊の第一波が、伊江島南西端の幅およそ550メートルの海岸に上陸し、その第一波は左翼(北側)に位置を占めた。3時間も待たずして上陸部隊は1800メートル進撃して飛行場の西端に出た。第3大隊は10時15分には上陸を完了し、予備大隊として島の西端の偵察にあたったが、同大隊は洞窟や塹壕の日本軍を掃討しながら東方に進撃、第306連隊第1大隊の左翼後方を固めた。第306連隊の迅速な進撃は、16日の午後もつづいた。米軍はすみやかに飛行場を横切った。滑走路には遮蔽物とてなく、平坦に広がったところでは、日本軍にとっては格好の射撃場所だったかもしれないが、日本軍は別に応戦するでもなく、ただ飛行場東方の端で抵抗してきたが、ここでは米軍の部隊や装甲車隊が十数カ所におよぶ日本軍の塹壕を殲滅した。』(150頁)

『午後の進撃は、なかなかはかどらなかった。日本軍は、村落の西側にある陣地や洞窟、そして高台下方山麓にある今はとりでとなったのなかから、小銃や機関銃で猛烈に応戦してきたからである。

ここではもっぱら歩兵や工兵隊の撃ち合いであった。装甲車や戦車は地雷のため足止めをくわされたからで、敷設地雷の中には250キロ爆弾も無数に埋められていた。第305連隊の第3大隊が大きく左翼に迂回して、およそ1600メートルも進攻したのにくらべ、第1大隊は日の暮れるまでに海岸からわずか700メートルほどしか進撃できなかった。』(151頁)

《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳/光人社NF文庫) 150、151頁より》

http://www.ibiblio.org/hyperwar/USA/USA-P-Okinawa/img/USA-P-Okinawa-p158b.jpg

Eight hundred yards inland from Red Beach 2 were these cave positions around which the 305th RCT, 77th Division, was engaged in an infantry-demolition fight until nightfall of 16 April.

HyperWar: US Army in WWII: Okinawa: The Last Battle [Chapter 7]

『4月16日の、日本軍は第305連隊第3大隊に総攻撃を加えてきた。それはまったくやけ気味な攻撃ともいうべきものだった。彼らは、迫撃砲や70ミリ砲で装備しており、そのほかに小銃竹槍をもち、さらに袋には手榴弾を入れ、また箱の中に砲弾から抜きとった火薬をつめて身体ごと体当たりするような爆薬箱を文字どおり幾百ともなくもっていた。日本兵は少数のグループをつくって米軍陣地に忍びより、極めて近距離から爆薬箱を投げたり、あるいはまた箱を抱えたまま陣地内におどり込み、米兵を道づれに自爆しようとした。

この〝人間爆弾〟のなかには成功したものもあったが、しかし、大方は近づくまえにすでに射殺されていた。米兵のなかには、爆薬箱で自爆を遂げた日本兵の片脚が飛んできて腕をへし折られたものもいた。

暗中にくりかえされた肉弾戦が何時間かたって日本軍が退却したとき、第3大隊陣地内やその周辺には日本兵の死体152をかぞえた。第305連隊の第1大隊はたとえ小数の敵軍とはいえ、いくども肉弾戦をくりかえした。』(151-152頁)

《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳/光人社NF文庫) 151-152頁より》

 

 

第32軍の動向

北部戦線 

本部(もとぶ)半島: 八重岳(国頭支隊・宇土大佐)

『屋部海岸に上陸した米軍は、15日以来、真部山、八重岳一帯にかけて、激しい攻撃を加えてきたため、支隊の各中隊は、支離滅裂になった。陣地壕も次々に占領された。真部山では、佐藤少佐の率いる6中隊志垣中尉が、鉄血勤皇隊の三中生とともに奮闘したが、装備とて満足できない守備軍は、わずかに戦車砲に対し、爆雷攻撃と、手榴弾で応じた。米軍は、昼は海空と相呼応して、山中の日本軍陣地を攻撃し、夜になると遠くの後方に退いて、出撃してこなかった。各隊に配属された防衛隊員も、鉄血隊員も、竹槍急造爆雷と、それに3、4人に一挺宛渡された小銃だけだった。』(297頁)

《「沖縄戦記 鉄の暴風」(沖縄タイムス社編) 297頁より》

4月16日、米第4マリン連隊の1個大隊は、飛行機、野砲、艦砲の援護射撃を得て、八重岳の急坂を登っていった。その夜おそく、米軍に八重岳の頂上を占拠された。その後日本軍は反撃したが、米軍に阻止された。』(249頁)

《「秘録 沖縄戦記」(山川泰邦著/読売新聞社) 249頁より》

『米軍による八重岳・真部山の攻撃は、艦砲射撃、空からの機関銃掃射、近距離からの機銃・迫撃砲など、熾烈を極めていた。そのような戦況下、三中学徒隊で編成された通信隊は斬込み作戦を与えられた。4月15日、無線班に出撃命令が出た。』(216頁)

4月16日、暗号班も斬込み隊を告げられ多くの犠牲者を出した。…斬込み隊となった暗号班は、出発したと同時に迫撃砲の集中砲火を受け、負傷者を1人出した。そしてやっと目的地に到達した時、暗号班の総指揮官だった徳丸中尉は「小銃を持っている者は、着剣せよ。武器のない者は、手近にある短剣、短剣の鞘、棒切れ、スコップまたは石を持って俺の後について来い」と命じ、米軍に向かって突撃したという。暗号班は、15名中7名が戦死した。(216-217頁)

4月16日、壊滅状態に陥った宇土部隊は、護郷隊のいる野岳へ撤退することを決定。撤退は、翌17日まで続いた。』(217頁)

名護市史本編・3「名護・やんばるの沖縄戦」(名護市史編さん委員会/名護市役所) 216、216-217、217頁より》

 

伊江島:「六日戦争」はじまる

昭和20年4月16日から21日まで、「六日戦争」と呼ばれる日米の激しい戦闘が伊江島で繰り広げられた。日本軍約2000人、村民約1500人がこの6日間で戦死したが、現地召集の防衛隊員の多くも運命をともにした。』(168頁)

《「証言 沖縄戦 戦禍を掘る」(琉球新報社) 168頁より》

16日の未明、米艦隊がいっせいに島を砲撃したのち、波止場、ナガラ浜、ハテ浜、小浜などから上陸して直ちに進撃3時間後に飛行場を占領してしまった。さらに、戦車隊が激しく日本軍をたたきながら、ハダ原付近に集結するという進撃振りであった。

日本軍の高射砲隊は、ハダ原方面から来襲した米戦車隊と3時間にわたり激戦、米軍に相当に損害を与えたが、陣地をつぶされ、多数の戦死者を出して後退した。』(256頁)
《「秘録 沖縄戦記」(山川泰邦著/読売新聞社) 256頁より》

youtu.be

伊江島への砲爆撃

Bombardment of Ie Shima, Invasion Of Okinawa, 04/1945 (full) - YouTube

『日本軍は城山を主陣地に、壕内で息をひそめた。その弱小な戦力を補うため、本部半島に設置の大砲2門に伊江島の防衛を頼る、との計画になっていた。ところが本部半島の日本軍は…4月16日に早くも敗退した。米軍の伊江島上陸と同じ日だった。期待の大砲は一発も撃たないまま、米軍に破壊された。

苦境の伊江島日本軍は、急造爆雷で米軍戦車に抵抗した。木の箱に火薬を詰めて抱え、タコ壺にひそんで接近する戦車との間合いを計り、マッチで導火線に火を付け、タコ壺から這い出して突進し、戦車の車体下に爆雷を放り投げる。「肉弾攻撃」と呼んだ。』(101頁)

《「沖縄 戦跡が語る悲惨」(真鍋禎男/沖縄文化社) 101頁より》

http://www.iekanko.jp/iekanko/wp-content/themes/Ie-Island/images/detail/btn_01/v2.jpg

城山 | 伊江島観光協会 | 青い海と大自然輝く伊江島へ

 

 

そのとき、住民は・・・

伊江島

『3月23日未明、空をおおう大編隊の空襲で焼夷弾が雨のようにばらまかれ、伊江島は猛火になめつくされてしまった。その日から毎日激しい空襲にさらされて、軍民いっしょになって洞窟にもぐった。3月25日から艦砲射撃が始まり、4月16日までつづいた。

空からは戦闘機と軽爆撃機に、4月1日から16日の上陸開始まで、島内の壕、建物、その他の施設はシラミつぶしに攻撃された。もはや壕はけっして安全な場所ではなかった。直撃弾を受け、多くの命が生き埋めになった。外に飛び出した者は、砲弾や機銃弾でやられて倒れた。壕や洞窟では炊事もできず、生米をかじり、岩からしたたり落ちるしずくでノドをうるおすのがやっとだった。

おびただしくふえるシラミに悩まされ、おとなも悲鳴をあげた。子供たちはあまりのかゆみに泣きわめいた。』(255-256頁)

《「秘録 沖縄戦記」(山川泰邦著/読売新聞社) 255-256頁より》

http://www.nhk.or.jp/okinawa/okinawasen70/picture/style/img/detail54_img.jpg

沖縄戦の絵】伊江島沖の米軍艦隊 

『昭和20年4月中旬ごろ、本部町から伊江島方向を見た様子。米軍の艦隊が激しい砲撃を加えている。体当たり攻撃を試みた日本軍の特攻機が攻撃を受けて海に落ちていく。「米軍が近づく中、食糧を求めて避難先を抜け出し、実家に立ち寄った時に弟と2人で見た様子を絵にした。特攻機が落ちていくのを見てこの戦争は負けると思った。伊江島やその周辺で亡くなったかたがたの悔しさや悲哀をしっかりと受け止めて心からご冥福を捧げたい」』

伊江島沖の米軍艦隊 | 沖縄戦の絵 | 沖縄戦70年 語り継ぐ 未来へ | NHK 沖縄放送局

 

 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■

 

【戦跡と証言】清末隊陣地壕(本部町)

www.nhk.or.jp

 

【戦跡と証言】アハシャガマ(伊江村)

www.nhk.or.jp