1945年 7月29日 『敵がきた!敵がきた!』

〝沖縄〟という米軍基地

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九州上空での任務へ向かう第7空軍第11爆撃群のコンソリデーテッドB-24リベレーター。沖縄。(1945年7月29日撮影)

7th Air Force Consolidated B-24 ”Liberator” of the 11th Bomb Group, enroute to bombing mission over Kyushu, Japan. Okinawa, Ryukyu Retto.

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九州での空襲を終えたノースアメリカンB-25ミッチェルに砲弾を再装填する第41爆撃群第396爆撃中隊兵器係。沖縄。(1945年7月29日撮影)

Armament personnel reloading guns of a North American B-25 ”Mitchell” after air strike over Kyushu, Japan. 396th Bomb Squadron, 41st Bomb Group. Okinawa, Ryukyu Retto.

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九州での写真撮影任務完了後、読谷飛行場へ着陸態勢に入る第28上空写真偵察中隊ロッキードP-38ライトニング。(1945年7月29日撮影)

Lockhead P-38 ”Lightning”, 28th Photo Reconnaissance, preparing to land on Yontan Airstrip, after completing a photo mission somewhere over Kyushu, Japan. Okinawa, Ryukyu Retto.

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海軍作戦基地を訪れる海軍のヘンゼル次官補とマッキンタイヤー中将。読谷飛行場に到着したヘンゼル次官補とマッキンタイヤー中将を出迎えるプライス少将。(1945年7月29日撮影)

Asst. Sec. Nav. H. Struve Hensel and V. Adm. Ross T. McIntyre visit NOB, Okinawa. Arriving at Yontan Airfield, Mr. Hensel and V. Adm. McIntyre are welcomed by R. Adm. John D. Price.

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日本軍の抵抗 

『…1945年の6月下旬、台湾の虎尾基地で編成された第三龍虎隊。九三中練と呼ばれた小さな練習機に可能な限りの爆弾を積んで、最後の特攻攻撃をするための部隊でした。

部隊は一度宮古島に移動し、28日の夜に7機が出撃。沖縄近海でアメリカ軍の駆逐艦キャラハンに特攻攻撃を行いました。

アメリカ海軍の資料によると29日午前0時30分ごろ、特攻機は船の右舷に突っ込み爆発。後部の機械室などが破壊されたほか、機雷が爆発し、駆逐艦は2時間後の午前2時35分に沈没。アメリカ兵47人が死亡、73人が負傷しました。キャラハンは第二次大戦で神風特攻隊が撃沈させた最後の艦船でした。』

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琉球朝日放送 報道制作部 ニュースQプラス » 65年前のきょうは1945年7月29日(日) 

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沖縄戦の絵】「特攻機に拍手」

金武町の収容所の高台から特攻機を見ていた光景。昭和20年の7月から8月ごろ、同じ年ごろの子どもたちと遊んでいた時、ふと金武湾を見渡すと、日本軍の特攻機が米軍の艦船に突っ込んでいくのが見えた。海上から火柱が上がり、…子どもは「命中だ!」と手をたたいて喜んだという。「日本軍はまだ頑張っているんだ」と、捕虜になっても戦争に負けるとは考えなかった。…はしゃぎようを見て、軍用車に乗って見回りに来ていた米兵は怒っていたという。 』

特攻機に拍手 | 沖縄戦の絵 | 沖縄戦70年 語り継ぐ 未来へ | NHK 沖縄放送局

 

 

第32軍の敗残兵

国吉(くによし・くにし): 歩兵第32連隊第1大隊(大隊長・伊東孝一大尉)

ある日の昼間飛行機の爆音が友軍機に似ている、と皆が言いだした。あるいは制空権を一時的にでも日本軍が回復したのではないか。伊東は昼間、斥候を出して調査したが、すべて敵機だった。そして壕の外は米兵がうようよしていた。もう駄目だと思いながらも、心のどこかで何かの奇跡を願う、妄想にも似た気持ちを誰もが持っていた。

壕の近くにいた兵が、突然叫び声をあげながら小銃を発射した

敵がきた!敵がきた!俺の後ろにいる。寝台の下から敵がきた!

その喚き声に、伊東もまた本当に敵が侵入してきているのではと錯覚しそうになった

この兵は、日々の恐怖が高じて精神錯乱を起こしたのだった。伊東は、彼の小銃と手榴弾を取り上げ、戦闘の影響が少ない壕の奥へと追いやった。

彼は手榴弾を返してくれと何度も副官に申し出ていた。自決のため、誰もが1、2発の手榴弾を肌身離さず持っている。この兵も最後の手榴弾を手放したくなかったのだろう。ときに正気で、ときに錯乱していた。』(263頁)

《「沖縄戦 二十四歳の大隊長 陸軍大尉 伊東孝一の闘い」(笹幸枝/Gakken) 263頁より》

 

 

そのとき、住民は・・・

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対話集会が行われている様子。沖縄本島辺野古にて。(1945年7月29日撮影)

Town hall meeting in progress at Hinoko [Henoko], Okinawa.

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瀬嵩を中心とした大浦湾一帯の難民の数は毎日のようにふえました。南部の戦争は7月には実質的に終わっていましたが、生き残った住民はいくつかの収容所を経て、汀間・瀬嵩・大浦・二見などの瀬嵩地区にどんどん送りこまれてきました。いままでの部落は、それぞれ汀間市・瀬嵩市・大浦市・二見市などと呼ばれました。この地区には、なんと中南部の30余の市町村民が収容され、瀬嵩市那覇村、瀬嵩市具志川村などというものもできました。』(71-72頁)

《「島マスのがんばり人生  基地の街の福祉に生きて」(島マス先生回想録編集委員会) 71-72頁より》

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袋に入った米を運ぶ少年。沖縄本島にて。カートに載せて運ぶ様子。(1945年7月29日撮影)

Boys carrying bags of rice on Okinawa. On a cart.

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袋に入った米を倉庫に納めている地元民。沖縄本島にて。(1945年7月29日撮影)

Natives storing bags of rice on Okinawa.

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地元の食料配給所沖縄本島の嘉陽にて。年配の男性が、各個人に配給される米と油の量を書き留めている様子。(1945年7月29日撮影)

Local ration board at Kayo, Okinawa. The old man is marking down the amount of rice and oil given to each person.

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