1945年 5月15日 『戦闘と基地建設』

後方で進む基地建設

米軍は、沖縄に上陸した直後から、前線では戦闘を、後方では基地建設をした。これは、日本本土への出撃基地とするため、また、沖縄での地上戦の足場として、航空基地建設、補給路確保のインフラ整備が必要なためだ。

『沖縄と伊江島に基地を建設しようというその狙いは、もちろん、将来の作戦にそなえて、艦隊や航空隊の前進基地補給基地にすることであった。とはいえ、最初のうちは、全建設作業は、進攻作戦遂行のほうに向けられた。幹線道路と、物資集積所への主要道路が建設され、読谷と嘉手納の飛行場は使用を開始し、海岸沖合のタンカーと連結したガソリン貯蔵施設の建設がはじまった。』(444頁)
《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳/光人社NF文庫) 444頁より》

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誘導路建設に使われる石灰岩が第1878工兵航空大隊隊員操縦のクレーンによって運ばれる(1945年5月15日撮影)

A crane, operated by men of the 1878th Engineer Aviation, lifts a load of coral which will be used to fill in low spots of a taxi strip under construction on Okinawa, Ryukyu Retto.

写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館

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第1878工兵航空大隊によって建設中の誘導路に石灰岩をどさっと降ろすトラック(1945年5月15日撮影)

A truck dumps a load of coral onto taxi strip which the 1878th Engineer Aviation Battalion is building on Okinawa, Ryukyu Retto.

写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館

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第1878工兵航空大隊による誘導路建設現場(1945年5月15日)

A general view of taxi strip under construction on Okinawa, Ryukyu Retto, by men of the 1878th Engineer Aviation Battalion.

写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館

 

米軍の総攻撃・5日目

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前線の救護所で手当を受ける負傷兵。後方の裸の海兵隊員は火傷を負っている。(1945年5月15日撮影)

Wounded men are given aid at forward aid station. Naked Marine in background is suffering from burns.

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西部〜中央戦線

『第3水陸両用軍団(海兵隊)と第24軍団(陸軍)の作戦区域が境を接するその境界線の先には、日本軍の主力が守りを固めた首里高地があった。海兵隊は第1師団が第3水陸両用軍団の左翼、第6師団が右翼という位置を保ったまま、南へと進んだ。第1師団の作戦区域内では、第7連隊が左翼、第5連隊が右翼を占め、第1連隊は予備戦力という位置づけだった。』(362頁)

《「ペリリュー・沖縄戦記」(ユージン・B・スレッジ: 伊藤真/曽田和子 訳 /講談社学術文庫) 362頁より》 

シュガーローフ: (52高地)

『日本軍の猛烈な迫撃砲弾、それに斬り込みで、ついにシュガー・ローフの海兵は、5月15日の未明には将校わずかに1人、それに疲れきった兵19人だけになってしまった。日中はなお危険だった。というのは、シュガー・ローフの南にある〝馬蹄ガ丘〟やその東側にあるクレセント(大道森)にたてこもっている日本軍は非常に正確な射撃を浴びせていたからである。

午前10時、救援隊が出発したむね大隊から伝令がとどいた。海兵隊はすでに幾分か後退していた。集中砲火はますますはげしく海兵隊のいる峰の上に加わり、反対側の洞窟からは、日本兵がにじり寄ってきた。

…すばやく、救援するには、高地奪回を目指して肉迫しつつある日本軍を攻撃する以外にないとさとり、小隊長ジョージ・マーフィー中尉はつけ剣で突撃を命じた。

小隊は丘の頂上まできた。そこではげしい榴弾にはいり、もっていた350個の手榴弾がたちまちにしてなくなった。』(344-345頁)

『すでに日本軍は大隊の勢力でシュガー・ローフ周辺を砲撃し、第6海兵師団の左翼を攻撃しつつあった。夜明けごろになって、日本軍は約800メートルの戦線に展開し、シュガー・ローフの戦闘やクレセントの高地前方での戦闘で、米第6海兵師団の全左翼戦線はおおいに弱まってきた。第2大隊はついに退却した。日本軍はあえてこれに追いうちをかけてこようとはしなかった。第2大隊は、3日間で約400人の死傷者を出していた。』(346頁)

《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳/光人社NF文庫) 344-345、364頁より》 

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中央戦線

大名(おおな)

『安波茶ー沢岻(ダケシ)地区を過ぎると、今度は大名(ワーナ)高地が立ちはだかる。大名高地の尾根の向こう側が大名峡谷で、谷底を安謝川がくねくねと流れている。大名峡谷の南側にはまた別の丘陵があり、こちらは那覇市街から東へ行くほど高くなって、首里高地へと連なっている。この二つ目の尾根こそが、日本軍主力の防衛線の一つ、首里戦線を成しているのだった。』(362頁)

《「ペリリュー・沖縄戦記」(ユージン・B・スレッジ: 伊藤真/曽田和子 訳 /講談社学術文庫) 362頁より》

https://www.ibiblio.org/hyperwar/USMC/V/img/USMC-V-p258a.jpg

大名高地

WANA RIDGE, rugged barrier in the path of the 1st Division, is shown looking southeast toward Shuri.

https://www.ibiblio.org/hyperwar/USMC/V/USMC-V-II-8.html

1945年5月15日、大名攻撃に向けて、第5連隊は第2大隊を前線に投入、第3大隊を後続部隊として配した。さらに後方には第1大隊も控えていた。

第2大隊の攻撃が始まる前に、われわれ第3大隊は戦線後方の位置についた。そして、味方の戦車の75ミリ砲弾やM7自走砲の105ミリ砲弾が涸れ谷のいたるところで炸裂するのを、固唾をのんで見守った。だが敵の反撃もすさまじかった。猛烈な砲火に、戦車との連携突撃を命じられた第2大隊のライフル兵は、溝や穴に伏せて身を守り、離れたところから射撃するのが精いっぱいだった。立ち上がったが最後、戦車めがけて雨あられと浴びせられる砲弾の餌食になっていたことだろう。肝心の戦車も、ライフル兵の援護がなければ、前進することもままならない。捨て身の日本兵が自爆攻撃を仕掛けてくるからだ。ついに被弾した戦車がじりじり後退しはじめた。わが軍の砲兵隊や戦艦軍が、渓谷周辺の日本軍陣地にすさまじい砲撃を浴びせかけた。ほどなく、戦車部隊は退却し、空爆が始まった。激しい爆撃ではあったが、その後、谷間を制圧するのに要することになる猛攻撃に比べれば、まだ物の数ではなかった。』(363-364頁)

《「ペリリュー・沖縄戦記」(ユージン・B・スレッジ: 伊藤真/曽田和子 訳 /講談社学術文庫) 363-364頁より》

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準備を整えて沢岻高台で待機する戦車。部隊は首里へ向けて進軍するつもりである。

Tanks stand by in readiness at Dakeshi Heights. Troops are attempting to move into Shuri.

写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館

『大砲や迫撃砲による砲撃、艦砲射撃、空爆・・・目の前の大名渓谷と左手の大名高地を標的にしたわれわれの猛攻は続いた。日本軍の抵抗もすさまじく、戦場のあらゆる人間、あらゆるものに攻撃を加えつづけた。攻勢に出る戦車=歩兵部隊は残らず砲火にさらされた。それでも火炎放射戦車を含む合計30輛の戦車から放たれた砲弾が谷間に炸裂し、大地をこがした。それからふたたび敵陣めがけて地海空の総力を結集した砲撃・爆撃が仕掛けられ、その轟音と衝撃たるや、静寂という言葉の存在すら忘れてしまうほどだった。』(366頁)

《「ペリリュー・沖縄戦記」(ユージン・B・スレッジ: 伊藤真/曽田和子 訳 /講談社学術文庫) 366頁より》

 

幸地(こうち)・石嶺(いしみね)

『米第305連隊の作戦範囲は、187高地から首里にいたる変化に富んだ地形である。このあたりは首里の東部や北西部の、けわしい地形とは違って、突出した岩山が無数にあるかと思えば、谷間もあるという高台地で、ただでさえ不規則なこの地形に、砲弾で岩が裂け、兵隊の塹壕が掘られ、山腹には洞窟の大きな口があき、5月の中旬までには、すっかり山形が変わっていた。そこには生ける植物の一本とてなかった

第305連隊は、そのまま押していった。だが、2、3メートル進むごとに殲滅しなければならない新しい陣地が、つぎからつぎへと現れてきた。連隊の損害はしだいに大きくなり、5月15日までには、もとの兵力の4分の1ぐらいにまでなってしまった。』(364頁)

《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳/光人社NF文庫) 364頁より》

 

石嶺(いしみね): チョコレート・ドロップ(130高地)周辺

『5月6日以来の戦闘で、471人もの死傷者をだした第306歩兵連隊は、15日、ついに第307連隊と交替した。第307連隊は15日の朝、9時を期して第306連隊の前線を通り攻撃を開始した。

作戦では石嶺の大石森と、その右にあるチョコ・ドロップに同時攻撃を行うことだ。猛烈な小銃、機関銃、迫撃砲火の中を、彼らは目標めざして進撃をつづけていった。第96師団の各部隊は、同時に各担当地区内を進撃していったが、これはまた東翼にいる第77師団の進撃にも、大いに役立った。正午ごろ、第3大隊はチョコ・ドロップ北部のふもとに到着し、そこから大石森の北部斜面を攻撃していった。

第3大隊がチョコ・ドロップの北部を攻撃する一方、第2大隊のほうではその右側にまわり、約500メートルほど進撃したが、ここでもまた猛烈な迫撃砲火や機関銃火にあって、進撃を阻まれてしまった

米軍は全体的にみて進撃を積み重ねることはできなかった。チョコ・ドロップと大石森の間で鞍形になっているところは、チョコ・ドロップだけからではなく、南側の全防衛陣地からも攻撃のまとになっていた。ここでさらに数輌の戦車が擱座した。しかし、第77師団の攻撃は、この戦闘で、進撃を開始してからはじめてチョコ・ドロップの真北や大石森北斜面の下のほうで、自己の陣地を確保することができたことになる。

その夜、日本軍は、チョコ・ドロップの下に陣取った第307連隊の戦線突破を試みてきた。山の裏側にある巨大な洞窟の中から迫撃砲などをもって、暗夜に乗じて二度も襲撃してきた。しかし、彼らは撃退された。その夜、日本軍はチョコ・ドロップ北の塹壕の中に米兵5人を発見した。前夜の米軍撤退のときに、隊にはぐれた兵たちであった。たちまち2人が射殺され、1人が負傷、2人がかろうじて生き残った。』(377-378頁)

《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳/光人社NF文庫) 377-378頁より》

 

中央〜東部戦線

コニカル・ヒル: (運玉森・うんたまむい)

『第383連隊G中隊の2個小隊は、連隊長メイ大佐の言葉をかりれば、「いままで見たこともないほどの勇敢さ」をもって、5月15日、日本軍のすさまじい弾幕の中を、西原村のキング高地からコニカル・ヒルに進撃し、頂上からそう遠くないところに塹壕を掘った。予備小隊の兵6人が、北側の山からふもとの中隊に連絡をとろうとしたが、たちまち日本軍の銃弾に撃たれ、下方に25メートルも転げ落ちてしまった。 』(391頁)

《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳/光人社NF文庫) 391頁より》

 

 

第32軍の動向

西部〜中央戦線

天久(あめく)

天久台洞窟を死守していた独立混成第2大隊長古賀宗一少佐(少16期)以下の残存者は、無線をもって適時敵情を報告し、斬込みを実行していたが、15日夜残存者総員の斬込みを敢行大隊長以下ほとんどが戦死した。軍は独立混成第44旅団に防衛築城隊(長牟田大輔大尉)を増加し、海軍から20組の斬込隊を天久、眞嘉比方面に派遣させ、那覇正面の米軍の攻撃力減殺に努めた。(日本側の公式戦記: 戦史叢書沖縄方面陸軍作戦より)』(231頁)

《「沖縄 シュガーローフの戦い 米海兵隊 地獄の7日間」(ジェームス・H・ハラス/猿渡青児・訳/光人社NF庫) 231頁より》

 

52高地: (シュガーローフ) 

15日、さらに米軍は、強引な攻撃を開始。わが歩兵15連隊も、正確な射撃を米軍に浴びせて、一歩も退かない。52高地では、はげしい手榴弾戦がつづく。米軍の一小隊は、60名が11名だけになった。米軍も頑張った。被害続出しても、退却しない。しかし、ついに米軍が押し負けた。米第2大隊は退却した。死傷400。わが15連隊1大隊が夜襲をかけ、大隊長みずから軽機を握り、仁王立ちで撃ちまくる奮戦が効を奏した。』(261頁)

《「沖縄 Z旗のあがらぬ最後の決戦」(吉田俊雄/オリオン出版社) 261頁より》

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RBC 琉球放送】 戦後70年の地平から「シュガーローフの戦い」

シュガーローフの戦い | 琉球放送

15日朝安里東方の52高地の米軍は撃退したが、眞嘉比及び安里北側高地の一部は米軍に占領された。独立混成15聨隊長は52高地正面に増加配置した。…(日本側の公式戦記: 戦史叢書沖縄方面陸軍作戦より)』(231頁)

《「沖縄 シュガーローフの戦い 米海兵隊 地獄の7日間」(ジェームス・H・ハラス/猿渡青児・訳/光人社NF庫) 231頁より》

 

 

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