1945年4月3日『日米両軍の作戦変更』

米軍の作戦変更

沖縄島北部の侵攻を早める: 侵攻3日目

1945年4月1日、沖縄島の西海岸から上陸した米軍は東へと進撃し、上陸2日目には沖縄島東海岸の中城湾付近まで到達した。上陸地点の西海岸を東に向かって沖縄島を横断し、中城湾までの戦線を敷くことで島を南北に分割できた。予想に反し日本軍からの反撃らしい反撃がなかったのが幸いし、当初の計画よりも早く事が進んだことから、沖縄攻略における全地上軍及び陸海空軍の統合部隊司令官であった第10軍のS・B・バックナー陸軍中将は、4月3日に作戦を変更し、沖縄島北部の進撃を前倒しすることにした。この時点では、戦線の北側を主に海兵隊が、南側を陸軍が担当した。

『米軍の進撃ぶりは、米軍自体にとっても信じかねるほどの早さであった。…米軍の沖縄攻略作戦は、三段階に分かれ、第一段階では、南部沖縄の攻略と初期における諸整備作業をすませ、第二段階で伊江島と北部沖縄を制圧する。そして第三段階で、その他の南西諸島を占領し、本土侵攻作戦の準備をすることになっていた。しかし、予想外の早い進撃をみてバックナー司令官は、上陸3日目に作戦を変更、第3水陸両用軍団のガイガー司令官に対し北部への進撃を命じた。』(70頁)

《写真記録「これが沖縄戦だ」(大田昌秀 編著/琉球新報社) 70頁より》

http://www.ourwwiiveterans.com/okinawa/maps/USMC-M-Okinawa-10.jpg

http://www.ourwwiiveterans.com/okinawa/img/USMC-M-Okinawa-p73.jpg

石川南西部の丘陵地帯

PATROLS of the 4th Marines work their way through the hilly terrain southwest of Ishikawa.

Chapter 05 | Our World War II Veterans

『「貴軍の北部侵攻にあたり、全責任を貴殿に委任す」この伝達が、バックナー将軍から米第3上陸司令官ガイガー将軍にもたらされたのは、4月3日、第6海兵師団が仲泊-石川ラインに進撃中のことであった。この伝達は、沖縄作戦の重要な変更を意味した。もともと第二期作戦では、本部半島の確保や北部沖縄の孤立化は、沖縄南部を占領したあと、ということになっていた。バックナー中将はこれを変更して第一期作戦に入れ、第24軍団が首里防衛陣を攻める一方で、第3上陸軍は北部の日本軍を攻撃せよという命令を出したのである。遅滞なく北部進撃をするには、それ相当の理由があった。早ければ早いほど日本軍の再編とか防衛計画は後へ後へとずれ込んでいくことになるからだ北部守備隊の宇土大佐は、沖縄県民からなるゲリラ隊を組織しつつあるといわれていた。また日本軍が九州やあるいは本州からでも移動して北部の小さな港に逆上陸するおそれもある。この逆上陸は港を確保すればそのおそれはなくなるのだ。』(126-127頁)

《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳/光人社NF文庫) 126-127頁より》

http://www.npshistory.com/publications/wapa/npswapa/extContent/usmc/pcn-190-003135-00/images/fig6.jpg

バックナー陸軍中将(左)、ガイガー海兵少将(右)
In early April, Tenth Army commander LtGen Simon B. Buckner, Jr., USA, left, and Marine MajGen Roy S. Geiger, Commanding General, III Amphibious Corps, met to discuss the progress of the campaign. Upon Buckner's death near the end of the operation, Geiger was given command of the army and a third star. Department of Defense Photo (USMC) 128548

The Final Campaign: Marines in the Victory on Okinawa (Countdown to 'Love-Day')

 

沖縄島を南下する米軍

4月3日になると、それまで東進して、中頭で南北を切断しようと急いでいた米軍が、南に向かいはじめた湊川沖の米艦艇は、艦砲射撃をするだけで、1日、2日と繰り返した擬勢上陸の構えは見せず、そのかわり、沖縄の北西側(本部半島)、東側(与那原、大里付近)にも艦砲射撃を加え、艦載機約850機が、沖縄上空をわが物顔に乱舞した。』(154頁)
《「沖縄 Z旗のあがらぬ最後の決戦」(吉田俊雄/オリオン出版社) 154頁より》

4月3日、第24軍団は進撃路を南へとった。第17歩兵連隊を残留させて後方を固めさせ、第32歩兵連隊はその3大隊をもって、北中城湾を海岸沿いに南下した。4.5キロ進撃して久場崎を占領、村落南西部の端から海岸までつづく丘陵地帯の海岸沿いにある第165高地の日本軍戦線と相対峙した。日本軍が高地から撃ちまくってきた。米軍もこれに応戦し、短時間の砲火戦で日本兵数名を殺した。米軍連隊の一部は、10回にわたる日本軍砲兵の攻撃を浴びた。これは反撃がますますひどくなることを示したものであった。

第96師団は左翼に第32歩兵連隊をおいてよく呼応しながら、第156高地と上門めざして進撃していった。この高地占領は、その後、何回となく試みられ、何回となく失敗に帰した。第96師団の別の部隊は、喜舎場や安谷屋付近と野嵩北東方に進撃し、普天間とその550メートル南方の高台を占領した。西側の戦線では、同師団は伊佐浜から喜友名南東部にいたる線まで確保したのである。

第96師団は、車輪の回るように急速に右翼へ旋回して移動を完了し、第7師団と共に南進態勢を整えた捕虜にした民間人や兵隊の話で、日本軍が南下したことを知ったからだ。第24軍団の進撃も速く、いまやその攻撃部隊の2個師団の担当地区は新たな境界線を必要とするほどになった。翌4月4日、4個連隊をもって石川地峡を横断する線まで進撃することに決まった。すなわち東方から第7師団の第32連隊が、そして西方からは第96師団が第382連隊と第383連隊をもって攻めることになったのである。』(93-94頁)

《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳/光人社NF文庫) 93-94頁より》

3日、米第10軍司令官のバックナーは第27師団に対し、沖縄本島の東の島々を占領し、本島に上陸、第24軍を掩護せよと命令を発する。』(157頁)

《「沖縄に散った最後の陸軍大将 牛島満の生涯・魂還り魂還り皇国護らん」(将口泰浩/海竜社) 157頁より》

 

米軍の大補給作戦: ここでも計画変更

『米軍は、上陸第一波が海岸を横切って傾斜地を進撃すると同時に、これまで幾ヵ月もの間、策をこらして綿密に計画された大補給作戦を展開した。問題は、海岸を越えて、10万の兵にいかにして食料を運び、弾薬や武器を補給するかにあった。これには、まず180メートルから306メートルの広さにおよぶ切り立った珊瑚礁岩を渡って砂浜に到着し、その後方にある物資集積所に物資を輸送しなければならない。そこから各部隊へ運ぶのだが、それだけではなく、道路をひろげ、飛行場を直し、さらに住民が戦争の邪魔にならないようにするかたわら、彼らを戦争の災禍から助けてやらねばならない。海岸は広範囲にわたって、かなり地形も変わっていたので、物資補給の点でも一様ではなかったが、大体において陸揚げ作業には適していた。』(96頁)

『4月2日からは、フラッド・ライトを使用しての夜間の陸揚げ作業ががじまった。この夜間作業は、近海に日本の飛行機が飛来している時間以外は休みなくつづけられた。…海軍の陸戦隊指揮官は、海岸で艦船と連絡をとって上陸用舟艇の時間や、照明灯舟艇の作業時間のわりふりを指示した。4月3日、総陸揚げ作戦は開始されたのだ。』(97-98頁)

『米軍は大補給作業をはじめたものの、まもなく、海岸から物資集積所にいたるまでの輸送能力には、限界のあることが明らかになった。場所は限られているが物資は送り込まれてくる。これが着くと同時に前線に輸送するには、兵員と設備が足りない。こういうことがすぐにわかってきたが、…海兵師団とともに上陸してきた陸兵5千を当てて緩和策とした。進撃速度が早く、読谷や嘉手納の飛行場があっというまに占領できたので物資の補給方法の順序を再考しなければならない破目になってしまったのだ。日本の本土近くで、こうもこみいった計画をやり直すことは、実に驚くべきことであった。』(98頁)

《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳/光人社NF文庫) 96、97-98、98頁より》

f:id:neverforget1945:20170402233958j:plain

Okinawa Landings, April 1945. View of one of the beaches taken by CPhoM E.W. Peck off USS Tulagi (CVE 72), April 3, 1945. Several LSTs and LSMs are on the beach with other shipping offshore. Note LVTs in fields in the foreground. 80-G-339237.

Naval History Blog » Blog Archive » Operation Iceberg — Okinawa Invasion in 1945

 

日本軍の作戦変更

第32軍の動向: 攻勢に転ずる

沖縄戦が始まったばかりの時点で、杖とも柱とも頼む北・中の主要飛行場が敵手に落ちたことで大本営や台湾駐留の第8飛行師団などはショックをかくせなかった。 米軍の誇るB29爆撃機の基地にでも使用されたら日本本土が猛爆を浴びることは目にみえているからだ。…しかし、沖縄守備軍にすれば、米軍の沖縄上陸直前に最精鋭の第9(武)師団を台湾に転出され、その穴埋めさえやってもらえず、折角の防衛作戦にアナがあいたにもひとしかったので、実際のところ玉砕覚悟でなければ積極的反撃に出るゆとりなどなかった。』(41頁)

《写真記録「これが沖縄戦だ」(大田昌秀 編著/琉球新報社) 41頁より》

4月3日以降天皇が攻勢を望んでいるという大本営陸軍部からの電報をはじめ各方面から続々と同様の電報が届き、第32軍司令部は大いに動揺した。』(75頁)
《新装版「沖縄戦 国土が戦場になったとき」(藤原彰 編著/青木書店) 75頁より》 

『陣地に潜行し待ち構える第32軍に届いたのは現地情勢を知らない各方面からの「積極攻勢」の要望だった。かねてから水際撃滅作戦を主張していた上級司令部の第10方面軍司令官、安藤利吉大将は参謀長電で「水際撃滅の好機に乗じて攻勢を採る」ことを要望する。台湾の陸軍第8飛行師団(師団長 山本健児中将)も意見具申を打電した。』(157頁)

『鹿山の海軍第5航空艦隊司令部も3日、大本営海軍部と連合艦隊、第5航空艦隊などによる沖縄作戦の打ち合わせが行われ、敵に奪われた北、中の飛行場の封鎖する手段を講じてもらいたいとする電報を発信した。

陸海軍上層部からの積極攻勢を求める圧力に3日夜、長は軍参謀を「天の岩戸軍司令部」の参謀室に集め、今後の対応を協議する会議を開いた。牛島は臨席しなかったが、隣の部屋でもあり、会議の様子は把握していた。勇猛果敢、積極攻勢が信条である長は作戦主任である八原の「戦略持久」に不満を持っていた。』(158頁)

《「沖縄に散った最後の陸軍大将 牛島満の生涯・魂還り魂還り皇国護らん」(将口泰浩/海竜社) 157、158頁より》

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/ba/Cho_Isamu.jpg  

第32軍参謀長  長勇(ちょう・いさむ) 陸軍中将

Isamu Chō - Wikipedia

『そこへ上層部からの相次ぐ攻勢要請に意気込んで会議に臨んだ。米軍の態勢が固まらないうちに、得意の夜間を利用して敵の砲爆撃の威力を封じ白兵戦で敵を撃滅すべきであると提案する。これまで軍民一体となり懸命に壕を掘ったのも持久戦に持ち込むためでもあり、長の提案は作戦を根本から覆すものであった。

すぐさま、航空主任参謀の神直道少佐が、「軍の作戦指導は上級司令部の作戦構想に順応すべきで、兵力の多寡は論ずべきでない」と攻勢案を支持する。

これに対し、八原は至極当然のように、理路整然と真っ向から反論する。「攻勢成功の算は絶無であり、心血注いだ洞窟陣地を捨て出撃するのは自殺行為。戦略持久を堅持し、北、中飛行場も長距離砲で制圧すれば一兵の損害もなく、長期にわたる制圧が可能である」他の参謀からは何の意見も出なかったが、勢いがある積極攻勢」に賛成多数で決定する。』(160頁)

《「沖縄に散った最後の陸軍大将 牛島満の生涯・魂還り魂還り皇国護らん」(将口泰浩/海竜社) 160頁より》

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/54/Yahara_Hiromichi.jpg

第32軍高級参謀  八原 博通(やはら・ひろみち)陸軍大佐

Hiromichi Yahara - Wikipedia

『この期に及んでの作戦変更に、八原は牛島に「全軍壊滅する」と攻勢反対の意見具申した。傍で長が鬼の形相で八原を睨み付ける。

「軍の死活に関する重大関頭に当たり、高級参謀の痛心苦悩はよくわかる。しかし、この度の決心は天の意志、神の声と思って、その実行に万全を期していただきたい」静かにそう諭した牛島は「攻勢に転ずる」と決め、関係各方面に協力を要請する電報を発信した。(157-161頁)
《「沖縄に散った最後の陸軍大将 牛島満の生涯・魂還り魂還り皇国護らん」(将口泰浩/海竜社) 160-161頁より》

http://www.generals.dk/content/portraits/Ushijima_Mitsuru.jpg

第32軍司令官  牛島 満(うしじま・みつる)陸軍中将

Military Leaders - World War II: Pacific. Period 5

 

 

 

■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■

【第32軍部隊一覧】

沖縄戦関係資料閲覧室 第32軍部隊一覧