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1945年 4月20日『後方で進む基地建設』

南進する米軍

総攻撃の失敗

4月20日の朝が来た。米軍将兵のムードは前日の朝とはまるで違ったものだった。疲れきっていたし、前進しても日本軍陣地はなかなか突破できないばかりか、損害は大きくなる一方ということを知っているだけに気持ちはますます重くなるばかりだった。』(214頁)

4月19日の中南部攻撃作戦は失敗した。日本軍の戦線は、どの陣地をも突破することができなかった。彼らはどこでも頑強に抵抗し、米軍を追い返したのである。西側の1号線道路近くでさえ、第27師団はかなり進撃したとはいうものの、そのほとんどの地域が日本軍のいない低地帯で、そこから、丘陵地帯への進撃は、猛烈な反撃にあって、のぞむべくもなかったのである。

その他の戦線も同じだった。朝出撃して、日本軍の抵抗線にぶつかると、もうその日の進撃は、それで終わりであった。

19日の戦闘の結果、米第24軍団の戦死傷者は、行方不明もふくめて720名に達していた。』(213頁)

《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳/光人社NF文庫) 213、214頁より》

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負傷兵を後方に運ぶ様子

HyperWar: US Army in WWII: Okinawa: The Last Battle [Chapter 16]

 

牧港(まちなと)

4月20日の夜が明けると同時に、丘の洞窟を陣地にしていた日本軍は、牧港入江の橋を重砲や迫撃砲砲撃しはじめた。この砲陣めざして米軍戦車隊は直撃弾をあびせ、これを沈黙させたが、日本軍の320ミリ砲弾もまたひっきりなしに米軍のほうに落ちてきた。

川向こうの日本軍砲兵陣地からの弾幕砲火は、午後3時30分に開始され、4時までには歩行橋だけを残し、ベイリー・ブリッジが1本、そしてゴム舟橋が破壊された。』(212-213頁)

《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳/光人社NF文庫) 212-213頁より》

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浦添村の西端(撮影日1945年7月10日)

※現・浦添市牧港付近。「HWY ONE」とあるのが「1号線」、現在の国道58号線

WEST END OF URASOE-MURA ESCARPMENT, area of 27th Division attack (photographed 10 July 1945).

HyperWar: US Army in WWII: Okinawa: The Last Battle [Chapter 8] 

 

城間(ぐすくま)

『第165歩兵連隊…は、4月20日、2個大隊を先頭に、第27師団の右側に攻撃態勢をととのえた。…20日の朝、攻撃態勢をととのえるや、ただちに前面にある城間北部の高地めざして進撃したが、たちまちにして猛反撃にあった。第1大隊が1号線道路を南へ進撃すると、付近に塹壕を掘ってかくれていた日本軍がはげしく迫撃砲や機関銃で砲射撃を加えてきて、先発の部隊と後方とを断ち切ってしまった。

…大隊は夜までには、どうにか城間の東端に達することができたが、ここでふたたび第2大隊との連絡が断ち切れてしまった。彼らも同じように日本軍陣地の西方ではげしい抵抗にあっていたのだ。(215-216頁)

《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳/光人社NF文庫) 215-216頁より》

http://www.ibiblio.org/hyperwar/USA/USA-P-Okinawa/maps/USA-P-Okinawa-25.jpg

米軍は城間の日本軍陣地を「アイテム・ポケット」と呼んだ。

HyperWar: US Army in WWII: Okinawa: The Last Battle [Chapter 9]

『…このポケット(山あい)は日本軍陣地の中枢部をなし、ここから大車輪の輻のように低い峰が四方に走り、谷ができ、水田があった。』(216頁)

『アイテム・ポケットからは北と西の両方の海岸線や、1号線道路が南北に走ってその東側にある平地もすっかり見渡せた。日本軍は早くからこの地域が防衛陣地構築には北西海岸からの上陸に対しても、また陸上北部からの攻撃に対しても最適であると知って、米軍上陸の数ヵ月前から兵や沖縄の労務者駆使してトンネルを掘り、中で生活できるようにし、病室もこしらえていた

このあたり一帯の日本軍守備隊は、…戦車隊、機関銃隊のほかに高射砲隊、砲兵隊、迫撃砲隊で装備されていた。少なくとも600の日本軍と数百名の沖縄人がこの山あいを守っていた。』(217頁)

《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳/光人社NF文庫) 216、217頁より》

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米軍が「アイテム・ポケット」と呼んだ城間の日本軍陣地一帯

ITEM POCKET, scene of a bloody, protracted battle in the 27th Division zone of action. (Army Photograph)

Chapter 07 | Our World War II Veterans

『第165歩兵連隊第2大隊の歩兵は、20日、第1大隊の右側で作戦を展開、…タコ壺や洞窟の陣地を、一つ一つ片付けたが、大した進撃はできなかった。大隊が偵察隊を試みて左方の第1大隊と合流しようと進撃するや、たちまちにして山あい後方の陣地からものすごい砲撃をうけた。…日本軍の迫撃砲は、米軍機関銃がこれに応酬しようと構えるヒマもなく打ちのめし、そのため機関銃隊は掩護射撃陣をつくることもできないまま、…退却せざるを得なかったのである。』(217-218頁)

《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳/光人社NF文庫) 217-218頁より》

その後、米軍歩兵は西方へ進むも、丘陵の日本軍から銃砲撃をうけ、応戦するにあたり白兵戦も展開された後、この日は日本兵が退却した。

 

嘉数(かかず)

4月20日、米第24軍団のホッジ少将は配下の第27師団指揮官に、日暮れまでに嘉数高地を占領せよと命じた。だが、同夜から相当数の守備軍が嘉数部落付近に現れ、臼砲や機関銃で進撃中の米軍に猛烈な砲火を浴びせ、全部隊を釘づけにした。米軍は3時間もの間、腹ばいの前進を続けたが、わずかに450メートルしか進出できなかった。』(114頁)

《写真記録「これが沖縄戦だ」(大田昌秀 編著/琉球新報社) 114頁より抜粋》

 

和宇慶(わうけ)

『和宇慶の海岸地帯では、B中隊の戦闘偵察隊が連隊の左翼を守り、数個の日本軍陣地にぶつかったが、これを殲滅することには成功した。

《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳/光人社NF文庫) 240頁より》

 

周辺離島の制圧

伊江島(いえじま)

『…4月20日の攻撃では、主力を城山南部にいる第307歩兵連隊から、北部のほうにいる第306連隊のほうに移し、師団全体として城山の包囲陣を固めることになった。…4月20日午前8時5分、米軍砲兵隊は、目前にある日本軍陣地に猛烈な予備砲撃を浴びせた。午前9時、砲撃中止。日本軍を陣地からおびきよせるため、10分間、そのまま沈黙を守った。そして9時10分、こんどは前よりもはげしい砲撃を浴びせ、それが15分つづいた。第2回目の攻撃にきびすを接して、3個連隊は総攻撃をはじめた。』(170頁)

《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳/光人社NF文庫) 170頁より》

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HyperWar: US Army in WWII: Okinawa: The Last Battle [Chapter 7]

『伊江城の東方に陣取っていた第307連隊第3大隊は、攻撃部隊の活動範囲を広げるため南部へ退き、川平村落の西方にいた第2大隊は阿良の東方にいた第305連隊第1大隊と相呼応して、ふたたび、けわしいスロープをよじ登って、…峰やその奥の村落、そして村落の彼方にある城山めざして猛攻を開始した。』(170頁)

《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳/光人社NF文庫) 170頁より》

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伊江村役所を目指し移動する米兵

ATTACK ON BLOODY RIDGE of 20 April was marked by severe fighting. Infantrymen of the 307th infantry, 77th Division move on the double toward Government House Hill, on the ridge. 

『4月20日、第306連隊が城山を北側から襲っているあいだに、第305連隊と第307連隊は、西江前ー東江前の…南側斜面を攻めのぼっていった。激しい戦闘が4、5時間もつづいた。第307連隊第2大隊は、一度奪って奪い返された村役所のある丘の家を数件、ふたたび取りかえし、第305連隊第1大隊は東側から、村役所のある丘を見渡せる別のまるっこい丘を奪い返した。…米軍は反撃を予想して陣地構築をいそいだ。機関銃を村役所の二階に城山のほうに向けてすえ、部隊はその下のほうの道路一帯に、3中隊を東、西、中央というふうに配置した。…陣地構築後も、日本軍の小部隊の攻撃を2回うけ、その体当たり攻撃で戦車2輌がやられてしまった。』(173-174頁)

《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳/光人社NF文庫) 173-174頁より》

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日本軍の攻撃で破壊された戦車2輌

During the fighting on Bloody Ridge two medium tanks were knocked out by Japanese artillery fire from the Pinnacle.

HyperWar: US Army in WWII: Okinawa: The Last Battle [Chapter 7]

 

進む航空基地建設

沖縄と伊江島に基地を建設しようというその狙いは、もちろん、将来の作戦にそなえて、艦隊や航空隊の前進基地と補給基地にすることであった。とはいえ、最初のうちは、全建設作業は、進攻作戦遂行のほうに向けられた。幹線道路と、物資集積所への主要道路が建設され、読谷と嘉手納の飛行場は使用を開始し、海岸沖合のタンカーと連結したガソリン貯蔵施設の建設がはじまった。

沖縄上陸前の最初の案では、米軍基地、なかでも飛行場建設予定地として、他の島も占領することになっていた。すなわち、沖ノ大東島、久米島宮古島、喜界島、徳之島などが、アイスバーグ第3期作戦で占領を予定し、そこに戦闘機やB29やレーダー建設をすることになっていたが、時がたつにつれ、偵察して見て、これらの島のなかには、目的に適しないところもあることがわかり、占領は中止された。ただ、久米島だけが、6月26日に占領された。これは航空基地用としてではなく、沖縄群島の対空電探を強化するためであった。』(444-445頁)

《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳/光人社NF文庫) 444-445頁より》

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迅速に整備された嘉手納基地(1945年4月20日撮影)

DEVELOPMENT OF AIRFIELD at Kadena (photographed 20 April 1945) was rapid.

HyperWar: US Army in WWII: Okinawa: The Last Battle [Chapter 16]

『沖縄島や伊江島の基地工事が順調にいったのは、第3期作戦として計画されていた宮古作戦を放棄する決断を下したからにほかならない。4月9日に、第10軍はニミッツ提督に、沖縄の地形を詳細に調べたところ、長距離(VLR)爆撃機用基地に開発できる飛行場があることがわかった、と報告、…宮古作戦は4月26日に中止された。…沖縄島に18、伊江島に4つの滑走路をつくることになった。…沖縄での飛行場建設はB29用、伊江島は主に長距離飛行機戦闘護衛機用として、行われることになった。』(445頁)

《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳/光人社NF文庫) 445頁より》

 

 

32軍の動向

北部戦線

本部(もとぶ)半島周辺: (国頭支隊・宇土大佐)

八重岳が米軍に占領され、多野岳に後退することになった日本兵と学徒らは、山中を歩き続けていた。中には負傷者もおり、総勢千人の隊列であった。前日、名護出身の将校が道案内を申し出たが、その先は米軍が陣地を造って駐屯していたため、一行は米軍の銃弾をうけてしまい、後方へ逆戻りしていた。

20日、夜、死傷者を始末するいとまもなく、古我知山を出発した。すべて夜間に限られた山中の行軍は、隊列の間に、疑心暗鬼を生み勝ちであった。「ビーマタに部隊を誘導したのはスパイの仕業だ」「うっかり道案内を任せるな」といった声が、隊列から響いた。「まだか、羽地はそんなに遠いのか」という叫びもきこえた。その時羽地村出身の…兵長が「呉我を通って仲尾次に出るのが最も近くて安全です」と中島隊長に告げた。だが、役場には、その時既に米軍が入っていた。隊列は、米軍の陣地の見える川に沿って、急に道路に出た。…遙か後方で轟然たる爆裂音が起こり、一瞬炸裂の火が隊列を照らし、再び闇の中に呑まれた。「何んだ、今の音は」という声がおこり、やがて「海軍のひもつき爆弾を誰かが誤って発火させたのだ」という事が遙か後方から伝わってきた。先頭止まれの伝令が走り、「小休止」となった。…こんどは、思いがけなく、迫撃砲弾が注ぎ込まれた。呻き苦しむ重傷者や死体を残して、隊列は又、無言の行進を起した。不意打の砲撃に後方の隊が崩れ、またも中断してしまった。隊列は約500人に減っていた。(306-307頁)

《「沖縄戦記 鉄の暴風」(沖縄タイムス社編) 306-307頁より》

 

伊江島(いえじま): (国頭支隊・井川少佐)

村長・真栄里豊吉氏(63歳)は、井川部隊本部で常に将兵の士気を鼓舞していたが、4月20日、白はち巻きに手榴弾を握って夜襲に参加、ついに米軍の布陣する学校付近で戦死した。』(257頁)
《「秘録 沖縄戦記」(山川泰邦著/読売新聞社) 257頁より》

女子救護班にいた女性の証言:

『きょうは20日だけど、明日は伊江島玉砕の日で、21日はもう午前2時はみんな斬り込みに出ていなくなるから、…わたしも斬り込みに行きますと言ったわけ

『わたしはウメダ伍長に、わたしも斬り込み行きたいから連れて行ってくださいと言ったから、そうか、行くかと言われたから、「はい」と、モンペを上下着けて、鉄かぶとをかぶって、靴は渡されていたから、鉄かぶとと靴もはいて、短剣を渡されていたから短剣を差して一緒に行ったからね。行くつもりですよ、わたしは。こっちにいるよりは斬り込みに。』

www2.nhk.or.jp

 

 

中南部戦線

4月20日、ついに西の牧港と東の和宇慶が突破された。第32軍司令部は、東西の両翼から米軍にまわりこまれることを恐れ、戦線を全面的に後退させることを決めた。』(81頁)

《新装版「沖縄戦 国土が戦場になったとき」(藤原彰 編著/青木書店) 81頁より》

 

 

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