1945年 3月30日『激化する空と海からの攻撃』

空爆と艦砲射撃

米軍は1945年3月23日から沖縄全域の空爆を再開、翌24日からは艦砲射撃を始めた。沖縄本島上陸の日が刻々と迫る中、 米軍は、日本軍の防備陣、砲座陣、防空壕塹壕、飛行場などを空と海から攻撃し、破壊した。

沖縄本島への艦砲射撃

 『3月30日、ついに那覇小禄半島地区の目標をめざして、一大集中艦砲射撃が行われた。巨砲が火を吐き、巨弾は海岸線の護岸に命中し、幾個所も破壊した。いまや戦艦10隻と巡洋艦11隻がこの砲撃に加わったのだ。』(75頁)

上陸前7日間で米海軍が撃ち込んだ艦砲は、大型砲弾(15センチから40センチ)が1万3千発をこえ、それに12センチ砲弾数万発を加えると、全部で5千162トンの砲弾が地上の目標ねらって撃ち込まれた。この地域にある日本軍の海岸防備陣でわかっているものはすべてが壊滅されるか、または大破された。日本軍は海岸線にそって数カ所に大がかりな防空壕塹壕を構築してあったが、そのほとんどが無意味な洞窟になってしまった。艦砲射撃は海岸に望む断崖絶壁を狙って激しく撃ち込まれた。これは、いままで日本軍が、たびたび岩かげに防衛陣地を隠蔽するのを知っていたからだが、この艦砲射撃で露呈した日本軍の陣地はあまりなかった。(75-76頁)

《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳 / 光人社NF文庫) 75、75-76頁より》

 

http://www.ibiblio.org/hyperwar/USA/USA-P-Okinawa/img/USA-P-Okinawa-p62a.jpg

SOFTENING UP THE TARGET was the task of the allied fleet. It stood off Okinawa to place accurate fire on known Japanese installations and to support underwater demolitions teams clearing the beaches. At the same time the fleet's air arm conducted aerial bombardment. 

HyperWar: US Army in WWII: Okinawa: The Last Battle [Chapter 2]

 

沖縄本島への空爆

『1945年3月28日から31日にいたるまで、米護衛空母艦隊は、第10軍から課された使命をよく遂行し、その艦載機は地上戦と相呼応して活躍した。南部沖縄では、各地に点在する日本軍の砲座陣を集中攻撃し、また中城湾北部海岸沿いの橋を十カ所にわたって爆撃した。比謝川近くの軍事施設にナパーム弾15発の直撃を浴びせるほか、飛行場や海軍基地に対する攻撃が続行された。(77頁)

《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳 / 光人社NF文庫) 77頁より》

 

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This low-level bombing attack on L minus hit enemy shipping in the mouth of the Bishi River.

HyperWar: US Army in WWII: Okinawa: The Last Battle [Chapter 2]

『それにつけても毎日毎日繰り返される敵グラマン機の攻撃を、私たちは不思議な現象と考えた。というのは、私たちは、学業をなげうって、徹夜作業で完成した北、中、小禄等の飛行場に待機しているであろう友軍機を心から信頼していたからだ。ー 敵機が我が物顔に郷土の上空を跳梁している ー およそ私たちには想像もつかなければ理解もできないことだった。』(24頁)

《「鉄血勤皇隊/少年たちの沖縄戦 血であがなったもの」(大田昌秀著/那覇出版社) 24頁より》

http://www.nhk.or.jp/okinawa/okinawasen70/picture/style/img/detail09_img.jpg

沖縄戦の絵】 米軍上陸と空からの爆撃 

『昭和20年3月下旬、数え切れないほどの数の黒くて大きな船が海に現れた。空にもグラマン戦闘機の群れが姿を現し、小学校や住宅、軽便鉄道を次々と爆撃した。「沖縄はもうおしまいだ」。そう思いながら、母親が待つ壕に戻った。』

米軍上陸と空からの爆撃 | 沖縄戦の絵 | 沖縄戦70年 語り継ぐ 未来へ | NHK 沖縄放送局 

  

第32軍の動向

航空機による特攻

『米軍は、日本軍の飛行場や陣地を攻撃したが、日本軍の反撃もまた猛烈になった。3月26日から31日までのあいだに日本軍の飛行機約100機が50回にわたって沖縄に襲ってきて、攻撃機の多くが米艦船に体当たりの自爆を試みたが、それはやがて来るべき恐るべき戦術 ー 特攻の不吉な前ぶれであったのだ。ほんのわずかな例外を除いて、特攻機だいたい未明か、夜の月明かりを利用して襲いかかってきた。日本軍の特攻はすでに新型、旧型の飛行機をとりまぜた編隊だった。彼らは目標に近づくと、だいたい1機か2機ずつに分かれて爆撃してくるのが普通だった。やがて日本軍の飛行機は、夜陰に乗じて飛来し、沖縄の飛行場に着陸するらしいことがわかった

特攻機が好んで目標にしたのは、哨戒艇から偵察艦、またはその他の小型船舶だったが、ときに十数機が、大型艦船にも襲いかかってきた。特攻機は、9機が目標に体当たりし、10機がすれすれに目標を外れた。この日本軍の特攻による米軍の損害は軽微なものだったが、中には撃沈されたものもあり、大破を蒙ったのもあった。3月26日から31日までの米軍の被害のうち、戦艦ネバダ駆逐艦ビロクシ、重巡インディアナポリスをふくむ10隻が大破したが、そのうち8隻までが特攻機にやられ、2隻が機雷に当たったのである。一方、米軍は軍艦からの対空射撃や空中戦で約42機の特攻機を撃墜した。』(79-80頁)

《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳 / 光人社NF文庫) 79-80頁より》

 

真実を伝えない日本メディア

『慶良間での負け戦とは逆に、3月30日、ラジオ・トーキョーは、日本軍が早くも30隻の米艦船を撃沈し、敵の死傷者は3万3千名にもたっすると報じた。』(30頁)

《写真記録「これが沖縄戦だ」(大田昌秀 編著/琉球新報社) 30頁より》 

【戦争とラジオ】
「日米電波戦争 ~国際放送は何を伝えたのか~」/NHKETV特集

youtu.be

 

 

そのとき、住民は・・・

http://www.nhk.or.jp/okinawa/okinawasen70/picture/style/img/detail33_img.jpg

沖縄戦の絵】家族の盾になる祖父 

米軍上陸直前の昭和20年3月、親せきを頼って疎開する途中の山中での出来事。祖父母と…妹たちとあわせて6人で歩いていたところ、突然米軍機が頭上に現れ、旋回したかと思うと機銃を浴びせてきた。とっさに祖父が全員を抱き寄せて覆いかぶさった家族5人の盾となり、守り抜こうとしたのだ。攻撃のすきを見て6人がやぶの中に逃げ込んだ直後、もといた場所には焼夷弾が打ち込まれ炎の海となった。…「いつも家族のことを考えてくれていた祖父の行動を伝えたいと思って描いた」』

家族の盾になる祖父 | 沖縄戦の絵 | 沖縄戦70年 語り継ぐ 未来へ | NHK 沖縄放送局

 

 

 

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琉球朝日放送 報道制作部 ニュースQプラス » 65年前のきょうは1945年3月30日

 

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