〜シリーズ沖縄戦〜

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…月20日『後方で進む基地建設』 1945年 4月21日『郷土沖縄を救え・郷土は自分で護れ』 小波津の戦闘(4月22日~5月2日) 1945年 4月22日 『伊江島の集団自決』 1945年 4月23日 『第1防衛線の崩壊』 1945年 4月24日 『津堅島の悲劇・前夜』 1945年 4月25日 『津堅島と北部山中の悲劇』 前田高地の戦闘 (4月25日~5月3日) 1945年 4月26日 『前田高地の激闘始まる』 1945年 4月27日 『戦場の市町村長会議』 1945年 4月2…

1945年8月31日 『牛馬以下にあつかわれて』

…良間列島の震洋特攻艇基地建設に約1,000人、宮古島には要塞建設などに約1,500人、八重山諸島で飛行場建設に約600人などという。 沖縄で軍夫として使役された者に対する待遇は、ごく一部を除いて極端に悪かった。坑内作業や輸送運搬など、腹の空く重労働をさせながら、動員された日本人と同量の食糧を供給しなかった。日本人労務者も満腹するほどの食糧を支給されたわけではないが、日本人よりうんと少なく支給した。空腹の朝鮮人はやむなく近くの畑に忍び寄って芋を盗んだりすることになるが、農家から…

1945年 8月21日 『消えた村、消えた家』

…せられたこともある。基地建設のため住民を移動させる必要が出てきたからである。あるいは日本軍の空襲から住民を守るために集団移動させることもあった。 忘れてならなのは、本部半島の北部や西部では戦禍はそれほどひどくなく、多くの住居が破壊を免れたが、アメリカ軍の占領後に強制移動させられたことである。ここでは、4月上旬から中旬にかけてアメリカ軍が侵入してくると、ほとんどの住民は村を捨て、山へ逃げた。2、3日経つと、アメリカ軍に対する恐怖心は消え、自分の住居に戻ってきた。アメリカ軍がすぐ…

1945年 7月28日 『軍事基地の確立』

…編12』46頁)。 基地建設計画のなかでも飛行場の確保と建設は大きな柱だった。当初の計画では、読谷、嘉手納、牧港、那覇、泡瀬、普天間、テラ(糸満)、与那原の8飛行場を確保することが目指された。』(75-76頁) 《「暴力と差別としての米軍基地 沖縄と植民地ー基地形成史の共通性」(林 博史/かもがわ出版) 75-76頁より》 九州の佐世保港への爆撃任務のため離陸するノース・アメリカンB-25ミッチェル。13型魚雷を使うのはこれが最初の任務である。第41爆撃群第47爆撃中隊。沖縄…

1945年7月8日 『沖縄人には時間もなく、人生もない』

…- 15万人 中部で基地建設を進めるため、米軍は次々と収容者を北部の収容所へと送り込んだ。 『6月中旬〜7月中旬にかけて、米軍の投降勧告に応じて、捕虜となった元兵士や地元住民や避難民たちは、各地区と各字に設けられた「収容所」に集められた。…現在の名護市域でみると、当時の収容所としては羽地の田井等地区、久志の瀬嵩地区・久志地区・大浦崎地区が設定された。これらの地区や周辺に仮住まいした住民を合わせると、一時期15万人の人々が収容所生活を送っていたのである(名護市史編さん委員会編–…

1945年7月5日 『残る敵は日本のみ』

…日本攻略のためには、基地建設やインフラ整備、物資や兵器の陸揚げなどが必要であることなどを説明した。 《 Two Down, One to Go: Preparing Soldiers for More War | The Unwritten Record から抜粋した内容を要約し、和訳》 プロパガンダ映画「トゥー・ダウン、ワン・トゥー・ゴウ」 Two Down, One to Go! - YouTube 活動写真「トゥー・ダウン、ワン・トゥー・ゴウ」を観る兵站部第27歩兵師団…

1945年7月4日 『宜名真・辺戸住民斬殺事件』

…1166工兵隊による基地建設工事。(1945年7月撮影) Construction progress of 1166th Engr. Combat Group at the Machinato airstrip. 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館 一見変わったこの機器は「ウォブル・ホイール・パッカー」と呼ばれ、滑走路の石灰岩から水分を取る働きをする。右はゼンダー一等兵。伊江島。(1945年7月撮影) This peculiar looking piece of app…

1945年7月2日 『アイスバーグ作戦終了』

… 戦争に引き続く米軍基地建設のため、住民は次々と収容所に送られた。 Curious Kids Caper amid Okinawa Ruins廃墟の中を飛び跳ねる二頭の仔ヤギ (1945年7月2日) 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館 先島諸島の沖縄戦 - 与那国島 与那国島(よなぐにじま) - 日本軍13000人が常駐した与那国では、十・十空襲以降、頻繁に日本軍の拠点を標的にした空爆がおこる。山間地に避難して生活していた人々はハマダラ蚊に襲われ、多くの島民がマラリアに…

1945年6月28日 『沖縄の基地化と収容所』

進む基地建設と、辺野古・大浦崎収容所 米軍の動向 摩文仁の丘の星条旗 〝沖縄〟という米軍基地の建設 心理戦部隊 - 米軍の記録写真とプロパガンダ 第32軍の敗残兵 司令官と参謀長の墓標と日本軍捕虜 そのとき、住民は・・・ 沖縄の基地化と収容所 - 大浦崎収容所 家族を亡くした子どもたち 米軍の動向 《AIによるカラー処理》空母搭載機群による仮装攻撃演習において追跡訓練をおこなう空母エセックス (CV-9)。40ミリ砲と5インチ砲で狙いを定めているところ。沖縄近海にて。(194…

1945年6月23日 『第32軍の終焉』

…令官交替 各地で進む基地建設 第32軍の終焉 牛島・長両将軍のさいご: 自死当日 第24師団: 師団長 雨宮巽陸軍中将の自死 そのとき、住民は・・・ 多発する住民虐殺 「生」を選んだ住民たち 「死」を選んだ住民たち 米軍の動向 掃討作戦 『1945年6月23日、米第10軍は、沖縄南部の日本軍第32軍の敗残兵を殲滅するために、他の軍と提携して、全面的な掃討戦を開始した。この掃討戦では、陸軍第24軍団と第3上陸軍団は、それぞれの作戦地区を担当し、作戦遂行のため、3つの段階にわける…

1945年6月20日 『方面軍からの感状』

…軍の動向 後方で進む基地建設 米軍基地の事件・事故 南進する米軍 - 最後の追い込み 日本兵と民間人捕虜の収容 第32軍の動向 軍司令部: 摩文仁 - 迫りくる米軍 「本土のための持久戦」- 感謝状に感涙 捕虜になった日本兵 そのとき、住民は・・・ 日米両軍に追い詰められる住民 投降する住民を殺す日本兵 米軍の動向 後方で進む基地建設 米軍は、沖縄に上陸した直後から、前線では戦闘を、後方では基地建設をした。これは、日本本土への出撃基地とするため、また、沖縄での地上戦の足場とし…

1945年6月17日 『生命を助けるビラ』

…軍の動向 後方で進む基地建設 読谷飛行場滑走路の完成 南進する米軍 - 最後の追い込み 心理作戦: 宣伝ビラ「米軍は皆様の友達です」 日本兵と民間人捕虜の収容 バックナー中将の勧告 第32軍の動向 バックナー中将の勧告 崩れゆく防衛線 捕虜になった日本兵 日本兵として扱われる少年兵 そのとき、住民は・・・ 声明を助けるビラ 喜屋武岬 - 背中から撃つ日本兵 いのちを救ったウチナーグチ 米軍の動向 焼け野原の那覇 A Japanese aircraft engine lies …

1945年6月15日 『戦利品への執着』

…する米軍 後方で進む基地建設 - 普天間飛行場の滑走路建築に着工 戦利品への執着 ① 人種隔離とアフリカ系アメリカ人兵士 第32軍の動向 国吉: 歩兵第32連隊第1大隊(大隊長・伊東孝一大尉) 神航空参謀の沖縄脱出 ⑤ そのとき、住民は・・・ 日本兵と民間人捕虜の収容 米軍の動向 北部: 久志岳 - 日本軍要塞への攻撃 焼夷弾とロケット弾を搭載したF4U機が久志岳頂上の日本軍要塞攻撃のために出発(1945年6月15日撮影) An F4U carrying firebombs …

1945年6月14日 『アブチラガマへの攻撃』

…軍の動向 後方で進む基地建設 瀬長島の制圧 南進する米軍 第32軍の動向 そのとき、住民は・・・ 収容された瀕死の人々 アブチラガマへの攻撃 米軍の動向 映画鑑賞中。沖縄にて(1945年6月14日撮影) Okinawa, Moving Pictures 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館 後方で進む基地建設 米軍は、沖縄に上陸した直後から、前線では戦闘を、後方では基地建設をした。これは、日本本土への出撃基地とするため、また、沖縄での地上戦の足場として、航空基地建設、補給…

1945年6月13日 『2人の少年』

…軍の動向 後方で進む基地建設 南進する米軍 日本兵と民間人捕虜の収容 第32軍の動向 小禄の海軍 - 大田実司令官の死 軍司令部 捕虜になった日本兵 そのとき、住民は・・・ 「デテコイ」役 ⑥ 失われた沖縄の鉄道 - ケービン 米軍の動向 戦没者を讃え半旗を掲げる(1945年6月13日撮影) Flag Day on Okinawa 投稿者註: 原文には Flag Day(フラッグ・デー / 星条旗を称える米国の祝日)とある。 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館 後方で進…

1945年6月8日 『地域で異なる沖縄戦』

…島の制圧 後方で進む基地建設 第32軍の動向 摩文仁: 司令部壕の女性たち 小禄半島の海軍: 大田実海軍少将 沖縄島からの脱出 そのとき、住民は・・・ 戦地の赤ん坊 小禄半島で保護された住民 米軍の動向 南進する米軍 南への進撃を続けるアメリカ軍はこの日、ついに糸満の照屋付近まで到達します。65年前のきょう撮影された写真。現在の那覇空港の場所にあった小禄飛行場を制圧したアメリカ軍は、南部への進撃を確実に強化していきました。 65年前のきょうは1945年6月8日 – QAB N…

1945年6月6日 『沖縄県民の実情』

…との闘い 後方で進む基地建設 南進する米軍 小禄半島上陸: 3日目 第32軍の動向 沖縄方面根拠地隊(沖根): 小禄(大田実海軍少将) そのとき、住民は・・・ 米軍の動向 雨と泥との闘い 《AIによるカラー処理》「泥将軍」が支配する沖縄--梅雨時の道路で、キャタピラトラクターが救出にくるまで泥のなかで立ち往生していた海兵隊の傷病兵輸送ジープ。他の車両をぬかるみから引っ張り出すため待機する第1海兵師団の駆逐戦車(後方)。(1945年6月6日撮影) GENERAL MUD TAK…

1945年6月3日 『米軍、伊平屋島に上陸』

…島の捕虜 後方で進む基地建設 南進する米軍 小禄半島上陸計画 (那覇飛行場) 知念半島の分断 第32軍の動向 残存兵力と質 そのとき、住民は・・・ 伊平屋島 宜野座初等学校 ②: 設立者の体験談 米軍の動向 伊平屋島の制圧: 上陸日 伊平屋島(いへやじま): 沖縄県島尻郡伊平屋村の主島 伊平屋島と沖縄島の位置 『6月3日、米軍は沖縄本島北西海上の伊平屋島へ上陸した。上陸に先立ち百数十隻の船団が同島を包囲し約2時間にわたって空と海から猛烈な砲爆撃をくわえた。とくに上陸地点の前泊…

1945年6月2日 『破壊された琉球の文化財』

…虜の収容 後方で進む基地建設 第32軍の動向 北部 - 恩納岳: 第4遊撃隊 南部 - 軍司令部: 摩文仁(まぶに) 南部戦線の学徒隊 - 一中鉄血勤皇隊 そのとき、住民は・・・ 宜野座初等学校 ①: 設立者の体験談 八重山 - 石垣の避難命令と戦争マラリア 米軍の動向 米国の大きな勝利。やめるかドイツの二の前か、とトルーマンは日本に警告。米軍が首里を確保し進む。 シカゴデイリートリビューン (June 2, 1945) 雨と泥との闘い 写真に見られるようなぬかるみのため前線…

1945年6月1日 『残存兵の戦場』

…呼びかけ 後方で進む基地建設 第32軍の動向 南部への移動 - 作戦成功とみた軍司令部 残存兵の戦場 南部戦線の学徒隊 - 一中鉄血勤皇隊 そのとき、住民は・・・ カーブヤーガマ 米軍の動向 南進する米軍 HyperWar: US Army in WWII: Okinawa: The Last Battle [Chapter 17] 『南部攻撃が6月初日にはじまったとき、海兵隊は日本軍を孤立化させるよりも壊滅させる計画であった。第3上陸軍団は、偵察隊を派遣させたところ、首里付…

1945年5月18日 『まるで臭い生ゴミの山』

…軍の動向 後方で進む基地建設 総攻撃8日目 シュガーローフ 第32軍の動向 シュガーローフ 与那原の海上特攻隊 (震洋) 捕虜になった日本兵 そのとき、住民は・・・ 米軍の動向 後方で進む基地建設 米軍は、沖縄に上陸した直後から、前線では戦闘を、後方では基地建設をした。これは、日本本土への出撃基地とするため、また、沖縄での地上戦の足場として、航空基地建設、補給路確保のインフラ整備が必要なためだ。 『沖縄と伊江島に基地を建設しようというその狙いは、もちろん、将来の作戦にそなえて…

1945年5月17日 『死者は血の海に横たわる』

…軍の動向 後方で進む基地建設 総攻撃7日目 第32軍の動向 そのとき、住民は・・・ ソテツ地獄 米軍の動向 後方で進む基地建設 米軍は、沖縄に上陸した直後から、前線では戦闘を、後方では基地建設をした。これは、日本本土への出撃基地とするため、また、沖縄での地上戦の足場として、航空基地建設、補給路確保のインフラ整備が必要なためだ。 『沖縄と伊江島に基地を建設しようというその狙いは、もちろん、将来の作戦にそなえて、艦隊や航空隊の前進基地と補給基地にすることであった。とはいえ、最初の…

1945年5月16日 『沢山のブリキの兵隊』

基地建設、ブリキの兵隊 米軍の動向 後方で進む基地建設 総攻撃6日目、シュガーローフ 第32軍の動向 陸上戦に投入された海軍部隊の全滅 捕虜になった日本兵 そのとき、住民は・・・ 米軍の動向 後方で進む基地建設 米軍は、沖縄に上陸した直後から、前線では戦闘を、後方では基地建設をした。これは、日本本土への出撃基地とするため、また、沖縄での地上戦の足場として、航空基地建設、補給路確保のインフラ整備が必要なためだ。 『沖縄と伊江島に基地を建設しようというその狙いは、もちろん、将来の…

1945年5月15日 『戦闘と基地建設』

…軍の動向 後方で進む基地建設 総攻撃5日目 日本軍の動向 南風原陸軍病院 - ひめゆり学徒隊 そのとき、住民は・・・ 米軍の動向 後方で進む基地建設 米軍は、沖縄に上陸した直後から、前線では戦闘を、後方では基地建設をした。これは、日本本土への出撃基地とするため、また、沖縄での地上戦の足場として、航空基地建設、補給路確保のインフラ整備が必要なためだ。 『沖縄と伊江島に基地を建設しようというその狙いは、もちろん、将来の作戦にそなえて、艦隊や航空隊の前進基地と補給基地にすることであ…

1945年5月14日 『“戦力”として必要』

…応と被害 後方で進む基地建設 日本軍の動向 海軍司令部 南部戦線の学徒隊 そのとき、住民は・・・ 島袋民間人収容所 米軍の動向 総攻撃4日目 第6海兵師団第22連隊第1大隊が防衛する前線での第10軍総司令官バックナー中将と第6海兵師団司令官シェパード少将。2人の司令官はこの地点から初めて、共に那覇の町を眺望した(1945年 5月14日撮影) LtGen Buckner, Command General of 10th Army and General Lemuel C. Sh…

1945年5月8日 『ドイツ降伏のニュース』

…後方で進むインフラと基地建設 第32軍の動向 軍司令部 米軍の動向 ドイツ降伏、米軍将兵の反応 『…5月8日、第一線の米軍部隊には、ナチ・ドイツが降伏したというニュースが伝えられた。しかし兵士たちは、ヒトラーが打倒されたことの喜びよりも、自らの生命が賭けられている目前の戦闘に気を奪われていた。それでも沖縄本島西方海上に蝟集した米艦船上では、感謝の礼拝が行われ艦砲と野戦砲はいっせいに空高く祝砲を発射した。』(125頁) 《写真記録「これが沖縄戦だ」(大田昌秀 編著/琉球新報社)…

1945年5月7日 『収容所の青空学校』

…する米軍 後方で進む基地建設 第32軍の動向 軍司令部、部隊再編・再配置 東部〜中央戦線、棚原からの撤退 そのとき、住民は・・・ 石川学園: 収容所の青空学校 米軍の動向 南進する米軍 『5月7日、米第24軍団長のホッジ少将は、第10軍の共同作戦の予備作戦として、進撃を続行し、8日の夕暮れまでには、安謝ー沢岻ー我謝の線を確保せよ、との命令を下した。』(324頁) 《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳/光人社NF文庫) 324頁より》 米軍進撃図(1945年5…

1945年5月1日『軍刀を振るって突撃』

…する米軍 後方で進む基地建設 第32軍の動向 中南部戦線、伊藤大隊 牛島軍司令官、八原をたしなめる 沖縄県庁、沖縄県後方指導挺身隊の発足 少年兵 そのとき、住民は・・・ 収容所生活 米軍の動向 沖縄島上陸から1カ月目 沖縄西海岸に集合した船舶。この場所は「パープル・ビーチ」と呼ばれ、米軍が最初に上陸を果たした場所である。(1945年5月1日撮影) Consentration of shipping on the west side of Okinawa. This is ”P…

1945年4月30日 『海兵隊の南下』

…の掃討戦 後方で進む基地建設 - 伊江島補助飛行場 第32軍の動向 北部戦線: 国頭支隊(支隊長・宇土大佐) 中南部戦線: 一転、再び攻勢へ そのとき、住民は・・・ 前田高地 米軍の動向 部隊交替と海兵隊の南下 仲間--18ヵ月を共に過ごしたグライナー少将(ジョージア州出身)と彼の秘書のベツィル3等軍曹(サウスカロライナ州出身)。灯火管制下のテントで司令を起草している。グライナー少将は陸軍第27師団の司令官である。ベツィル3等軍曹はグライナー少将の護衛でもあり、無線交換手や、…

1945年4月29日 『それぞれの天長節』

…地の戦い 後方で進む基地建設 不発弾処理 第32軍の動向、天長節の朝 司令部、再び攻勢へ 北部戦線: 国頭支隊(支隊長・宇土大佐) 中南部戦線 そのとき、住民は・・・ 天長節の失望 収容所生活 愛楽園 米軍の動向 特攻機対応と被害 2機の特攻機の攻撃から逃れた駆逐艦ヘイゼルウッド(DD-531)。沖縄本島北東沖。1945年4月29日夜。機能停止状態となって、海上で煙を上げている様子。乗組員は勇敢に同艦を救おうとしている。 USS HAZELWOOD(DD531) surviv…