米軍統治時代

1945年 9月7日 『第32軍の降伏』

第32軍の降伏文書調印式 琉球列島の「降伏」 ⑧ 『降伏調印式は9月7日午前11時20分から嘉手納の第10軍司令部前広場で行われる運びになった。広場の前にはシャーマン戦車、パーシング戦車、自動推進の155ミリ大砲が威容を誇り、陸軍と海兵隊の射撃部隊が整列し…

1945年 9月6日 『ご苦労さまでした』

降伏文書調印式までの動向 琉球列島の「降伏」 ⑦ 第10軍司令官スティルウェル将軍は、9月2日以後、琉球列島の全日本軍の降伏を受諾せよとの指令を受けたため、8月28日、宮古、八重山や奄美大島の各島守備隊指揮官あての和英両文による降伏メッセージを空から…

1945年 9月5日 『祖国という観念』

米軍の動向 戦利品 オーウェン・ランディ(右)のとっておきは、長さ30フィートになった、記念の署名入りの紙幣70枚である。(1945年9月5日撮影) Prized possession of Owen Landy (right) is this 70-piece, 30-foot long short-snorter bill. 写真が語る…

1945年 9月4日 『こんな国のために死ぬもんか』

降伏文書調印式までの動向 琉球列島の「降伏」 ⑤ 第10軍司令官スティルウェル将軍は、9月2日以後、琉球列島の全日本軍の降伏を受諾せよとの指令を受けたため、8月28日、宮古、八重山や奄美大島の各島守備隊指揮官あての和英両文による降伏メッセージを空から…

1945年 9月3日 『次々と降伏する日本軍部隊』

米軍の動向 飛行中隊の司令部にて行われた対日戦勝記念式。(1945年9月3日撮影) VJ Day ceremonies held by Hq. Squadron. 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館 鹵獲した日本地図を見ながら日本陸軍の代表者と協議する海兵隊の将校。沖縄北端の日本兵の配…

1945年 9月2日 『日本が降伏した日』

日本降伏の日 降伏文書調印式 『昭和20年9月2日、降伏調印の日がきた。 東京、横浜地方は未明に小雨が降った。夜が明けてからも重い雲が空を覆っていた。 …海は鉛色であった。式場の戦艦「ミズリー」は、横須賀沖18マイル錨地に停泊している。横須賀沖といっ…

1945年 9月1日 『朝鮮から「商売」に来ている』

米軍の動向 散り散りになった日本軍の部隊がまだ隠れている木が生い茂った山中に、日本語のビラを貼るシャウツ伍長(ペンシルバニア州出身)。ビラは投降の方法を指示し、戦争が終わったことを知らせている。(1945年9月1日撮影) Corporal John L. Schautz, J…

1945年 8月31日 『牛馬以下にあつかわれて』

降伏文書調印式までの動向 日本本土への進駐 ⑤ 『8月31日、厚木飛行場には1000名の連合軍将兵が到着し、横浜に進駐する。』(308頁) 『前日、関内に進駐した連合軍将兵の就寝は早かった。それでも山下公園に設営された幕舎には、自家発電装置による電灯が煌々…

1945年 8月30日 『日本全土がアメリカ世(ゆ)』

降伏文書調印式までの動向 日本本土への進駐 ④ 『…1945年8月30日、連合国軍最高司令官のダグラス・マッカーサー元帥が厚木飛行場に降り立った。昭和天皇が日本の敗戦を告げた玉音放送から15日後のことだった。』 マッカーサーが厚木に降り立った日から71年。…

1945年 8月29日 『進駐軍の要求』

降伏文書調印式までの動向 日本本土への進駐 ③ 『…29日は到着する飛行機はない。先遣隊の将兵も基地からは出なかった。30日のマッカーサーと総司令部、進駐軍本体の受け入れ準備の仕上げに忙殺される1日であった。 …砂利を撒いて固める誘導路の作業も、この…

1945年 8月28日 『若い兵隊の自殺』

降伏文書調印式までの動向 日本本土への進駐 ② 『連合軍が初めて日本本土に進駐したのは、昭和20年8月28日であった。 この日、連合軍から指定された神奈川県厚木飛行場は、前夜から周囲を三重に取り巻く警戒態勢の下に置かれていた。 連合軍先遣隊の到着は午…

1945年 8月27日 『連合国軍の日本進駐』

降伏文書調印式までの動向 日本本土への進駐 ① 昭和20年8月27日午後1時過ぎ、戦艦・巡洋艦17隻よりなる先遣艦隊が集結した。 横浜市史資料室:横浜の空襲と戦災関連資料 「写真でみる横浜大空襲」web版(photo85.html) 『27日、アメリカ第3艦隊は曇り空の下…

1945年 8月26日 『マイナスからの再建』

降伏文書調印式までの動向 琉球列島の「降伏」 ① 『1945年8月26日午後6時43分、第10軍司令官スティルウェル将軍は、9月2日以後、琉球列島の全日本軍の降伏を受諾せよとの指令を受けた。最初にとった行動は全琉球列島の日本軍指揮官との連絡網を確立すること…

1945年 8月25日 『沖縄人とアメリカ兵』

〝沖縄〟という米軍基地 航空機修理部隊の米軍艦ジェネラル・ダンカンから離陸するヘリコプター。船は水上航空兵站部で、地上に兵站部が配置されるまで、米軍の侵攻部隊を乗せた航空機の修理をしたり部品を提供したりする。この(水上)修理部隊は常時2機のヘリ…

1945年 8月23日 『沖縄人と米軍基地』

〝沖縄〟という米軍基地 伊江島の向かい側に位置する、沖縄本島北西端の小さな入り江に設置された哨戒魚雷艇基地の全景。前方には、地元民によって造られた護岸が見える。後方のテントは、整備員の営舎。(1945年8月23日撮影) General view of PT base loca…

1945年 8月22日 『投降の条件』

米軍の動向 海兵隊新兵補充部隊で体育教官兼ボクシングのコーチをしていた第1海兵師団所属の2人の海兵隊員が沖縄の地元民にボクシングを教えている。元社交ダンサーでアマチュアボクサーでもあった海兵隊所属キングが右で構え、ノース及びサウスカロライナ州…

1945年 8月19日 『伊江島に降り立った日本降伏使節団』

〝沖縄〟という米軍基地 『陸軍代表河辺虎四郎中将に率いられた総勢16名の日本降伏使節団は8月19日朝、緑十字のマークが付いている武装解除した海軍の中型爆撃機2機に乗り込み、東京湾の東岸にある木更津空軍基地から密かに出発した。 伊江島に着陸後、マッ…

1945年 8月18日 『〝終戦〟3日後の住民虐殺』

〝沖縄〟という米軍基地 嘉手納B滑走路に停留するおよそ200機のダグラスC-54スカイマスター。南西太平洋地区及び米国にある全ての基地から飛来したもので、日本や満州からの捕虜を移送する任務を負っている。輸送機のスペース確保のため戦闘機は移動し、人員…

1945年 8月17日 『悲しみのあとは歌』

〝沖縄〟という米軍基地 「東京占領」の準備 嘉手納飛行場の南管制塔から東を望む。第13空輸貨物補給中隊所属、空輸部隊ダグラスC-54輸送機が遠くまで何機も広がる。(1945年8月17日撮影) Looking east from the south operations tower along a strip at K…

1945年 8月16日 『戦争は終わったのか?』

〝沖縄〟という米軍基地 嘉手納飛行場の第389空軍通信センター。(1945年8月16日撮影) The 389th Air Service Group message center at Kadena Airfield, Okinawa, Ryukyu Retto. 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館 第32軍の敗残兵 恩納(おんな)岳: 第4…

1945年 8月15日 『それぞれの〝終戦の日〟』

日本、敗戦 『アメリカ東部時間(東部戦争時間)14日午後7時、トルーマン大統領がホワイトハウスで記者会見し、日本の降伏を正式に発表。8月14日が対日戦勝記念日「VJデー」となる。』 President Harry S. Truman reads to newsmen his announcement of the …

1945年 8月14日 『宮古の沖縄戦』

〝沖縄〟という米軍基地 沖縄本島の馬天港にある海軍作戦基地指令部。下士官用兵舎、赤十字用宿舎、食堂。(1945年8月14日撮影) NOB Headquarters at Baten Ko, Okinawa. Enlisted men's quarters, Red Cross hut and chow hall. 写真が語る沖縄 詳細 – 沖…

1945年 8月12日 『魚釣島からの決死隊』

〝沖縄〟という米軍基地 フィリピン諸島ルソン島から読谷飛行場に着いたばかりのコンソリデーテッドB-32の給油の様子。この2機は日本が降伏したといううわさを聞いた後、日本上空で写真偵察中に攻撃を受けた。2機ともひどくやられたが犠牲者はなかった。これ…

1945年 8月11日 『歓喜に沸く連合国』

日本の降伏に世界が歓喜 『日本政府の対外情報発信を担う「同盟通信社」が8月10日、対外放送で、日本の降伏受け入れ意思を表明した。翌11日のアメリカ新聞各紙には「日本、降伏受け入れ」の活字が大きく踊った。連合国は歓喜に沸いた。 しかしこのニュースは…

1945年 8月10日 『ジャップ・サレンダー』

御前会議 ポツダム宣言の受諾を決意 『8月9日午後11時50分、皇居内にある御文庫附属庫。約50平方メートルほどの地下の防空壕で、昭和天皇が参席する御前会議が始まった。議題は一つ、ポツダム宣言を条件1つで受け入れるか、それとも4つの条件をつけるか。 前…

1945年 8月8日 『ソ連、日本に宣戦布告』

ソ連、日本に宣戦布告 『太平洋戦争で絶望的な戦況に追い込まれていた日本の、唯一の望みは、ソ連による和平仲介だった。1945年2月のヤルタ会談でソ連の対日参戦が密約され、1945年4月5日にソ連は、日ソ中立条約を延長しないと通告していた。それでも日本は…

1945年 8月7日 『久志地区』

〝沖縄〟という米軍基地 普天間のB-29滑走路で第3誘導路の基盤用に石灰岩をどさっと降ろす第854工兵航空大隊のトゥアナプル。地ならしの後、ブルドーザーで地面は平坦にされる。(1945年 8月7日撮影) Tournapull of the 854th EAB dumping coral sand for t…

1945年 8月5日 『収容所から収容所へ』

米軍の動向 映画観賞 6人のGIがジープに座って映画を鑑賞中。(1945年8月5日撮影) Okinawa, Moving Pictures 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館 (投稿者註: リンク先の和訳を投稿者が要約) 第32軍の敗残兵 国吉(くによし・くにし): 歩兵第32連隊第1大隊…

1945年 8月3日 『沖縄人のための野戦病院』

〝沖縄〟という米軍基地 このサーチライト・レーダーは泡瀬飛行場上空に飛来した日本軍機を追跡する準備ができている。SCR268レーダーの技師は設備のチェックをしている。8億燭光のサーチライトは3万フィートのカーボンアーク・ビームを投げかけ、いつでも作動…

1945年 8月1日 『生きるためには』

〝沖縄〟という米軍基地 護衛空母シェナンゴ(CVE-28)。バックナー・ベイ(中城湾)に停泊している様子。(1945年8月1日撮影) USS CHENANGO (CVE-28) at anchor in Buckner Bay, Okinawa. 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館 第32軍の敗残兵 恩納(おん…