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1945年 4月16日『伊江島の「六日戦争」はじまる』

日本機の攻撃 『九州にある飛行場は、米第58機動部隊がたたいた。だが、それにもかかわらず、日本機は15日と16日、ふたたび相当な数をもって沖縄上空に現れた。16日の空襲では、神風1機が、空母イントレピッドの飛行甲板に体当たりしたのをはじめ、他の特攻…

1945年 4月15日『北部の学徒隊 〜 県立第三中学校 〜』

本部(もとぶ)半島・八重岳の攻略 『海兵隊は堅固な陣地のある小島での戦闘には慣れていた。だが、沖縄での戦闘は過去の経験からではなく、それこそ「教科書のなかからそのまま抜き出した」演習のような戦術を使用しなければならなくなったのである。こうした…

1945年 4月14日『やんばるのゲリラ戦』

本部(もとぶ)半島・八重岳の攻略 『シャプレイ大佐の率いる海兵3大隊は、4月14日、八重岳の東部を攻撃し、夕方までには山の第一稜線を完全に確保した。ここでは退却する日本軍が機関銃や小銃で撃ちまくってきたが、その数はたいしたことはなかった。だが、日…

1945年 4月12日『「この島を守っているのは兵隊だ」』

日本機の大空襲 『特攻機の攻撃は、警備艦船や渡具知沖の船団に重点が移った。この日の空襲で艦船17隻が命中弾をうけ、うち2隻が沈没。駆逐艦 M・L・アベルも特攻機と〝バカ爆弾〟をうけて沈んだ。この〝バカ爆弾〟とは、双発爆撃機から発射されるロケット弾…

1945年 4月11日『激しさを増す神風特攻』

日本機の大空襲 『日本機の大空襲は、4月中、ずっと継続して行われた。彼らは、日中は、第58機動部隊や警備艦隊、それに陸上の対空砲火のおよばない距離にある船団をねらって襲撃してきたが、夜になると輸送船団は敵機が近づくと煙幕を張ってかくれたので、…

1945年 4月7日『帝国海軍連合艦隊のさいご』

北進する米軍 名護(なご)・本部(もとぶ)半島 『海兵第29連隊は偵察隊や偵察戦車隊の後から、4月7日、名護に入った。名護は沖縄島から西方に突き出ている本部半島の深く曲がったところに具合よく位置をしめた中ぐらいの大きさの町だ。部隊の先鋒は本部をまっ…

1945年 4月6日『日本海軍の総攻撃』

北進する米軍 名護(なご)・本部(もとぶ) 『海兵第29連隊は、4月6日、許田に着き、そこから島を横切って道路沿いに戦線を敷いた。この辺りで、日本軍は橋を破壊したが、全く馬鹿げたやり方だった。橋のほんの一部だけが壊されたり、落ちたり、ヒビが入ったり…

1945年 3月30日『激化する空と海からの攻撃』

空爆と艦砲射撃 米軍は1945年3月23日から沖縄全域の空爆を再開、翌24日からは艦砲射撃を始めた。沖縄本島上陸の日が刻々と迫る中、 米軍は、日本軍の防備陣、砲座陣、防空壕、塹壕、飛行場などを空と海から攻撃し、破壊した。 沖縄本島への艦砲射撃 『3月30…

1945年 3月27日『米軍、慶良間列島を次々と制圧』

米軍、慶良間列島を次々と制圧: 侵攻2日目 3月27日午前9時11分、米軍は『慶良間で一番大きな渡嘉敷島に上陸し二日間かかって同島を制圧』、同じ日に『久場島、安室島、阿波連島を攻略』した。(18、20頁) 《写真記録「これが沖縄戦だ」(大田昌秀 編著/琉球新…

1945年 3月26日 『米軍、慶良間列島に上陸』

住民を巻き込んだ地上戦の始まり 米軍の慶良間(けらま)攻略 慶良間列島攻略の理由 『沖縄戦は昭和20年3月26日、A.D. ブルース少将の率いる米第77歩兵師団の慶良間列島上陸で幕が切って落とされた。慶良間攻略のねらいは、つぎに来るべき沖縄本島上陸作戦にそ…