本島周辺の離島

1945年 6月9日 『米軍、粟国島に上陸』

南進する米軍 西部戦線 小禄(おろく)半島 小禄半島にて、トンネルを掃討する偵察兵 Patrol cleaning out tunnel. Oroku Peninsula, Okinawa. 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館 負傷した日本人を治療するために小禄半島の後方へ運ぶ海兵隊員と手伝いの沖…

1945年 6月8日 『地域で異なる沖縄戦』

南進する米軍 西部戦線 小禄(おろく)半島 小禄半島--全焼し廃墟となった那覇飛行場の格納庫。骨組みだけとなり、日本軍機の残骸が見える。 OROKU PENINSULA -- Ruined and gutted hangar at Naha Airfield. Only the frames remain and the wreckage of a Ja…

1945年 6月5日 『海軍の抵抗』

南進する米軍 西部戦線 小禄(おろく)半島・奥武山(おおのやま) 『米軍上陸2日目、作戦は遅々として進まなかった。そしてついに、小禄半島中央近くの筆架山まできたとき、第29連隊は、そこで突然、行き詰まってしまった。一方、米軍は右翼(南)のほうでは、…

1945年 6月3日 『米軍、伊平屋島に上陸』

周辺離島の制圧 伊平屋島(いへやじま): 上陸日 『昭和20年6月3日、…朝8時ごろ、空を何機もの米軍機が横切った。』 伊平屋島 米軍上陸 | 沖縄戦の絵 | 沖縄戦70年 語り継ぐ 未来へ | NHK 沖縄放送局 『6月3日、米軍は沖縄本島北西海上の伊平屋島へ上陸した。…

1945年 4月25日 『津堅島と北部山中の悲劇』

南進する米軍 幸地(こうち) 『西原村にある178高地から真南およそ3キロのところに、ひときわ高くそびえている円錐形の丘があった。日本軍はこの丘から海岸沿いの通路を守っていた。…翁長の西方2キロのところに幸地村落があり、この二つの村落のあいだに高台…

1945年 4月24日 『津堅島の悲劇・前夜』

南進する米軍 『4月23日の夜から24日にかけて、濃い靄が、やがて深い霧に変わって、沖縄南部をつつんだとき、日本軍砲兵はしだいに砲撃度を増し、全前線に対して猛烈な砲火をあびせてきた。夜も明けないうちに米軍前線部隊は、少なくとも1千回の砲撃にさらさ…

1945年 4月23日 『第1防衛線の崩壊』

南進する米軍 城間(ぐすくま):「アイテム・ポケット」 前日に城間一帯の偵察を強化した米軍は、得た情報をもとに作戦計画をたてた。計画は、日本軍の陣地を攻撃しながら城間南西に位置する牧港飛行場まで進撃するものであり、その作戦を遂行するために特別攻…

1945年 4月22日 『伊江島の集団自決』

南進する米軍 『日本軍の首里外郭防衛線は、中城和宇慶から牧港東方を北西に走る山脈の山塊にそって、根をおろしていた。この山脈の向こう側に、日本軍防衛陣西のとりでといわれるおそるべき浦添丘陵があるのだ。あたりをへいげいするように連丘がそびえ、そ…

1945年 4月21日『郷土沖縄を救え・郷土は自分で護れ』

南進する米軍 城間(ぐすくま): アイテム・ポケット 『4月21日午前6時30分、第2大隊はアイテム・ポケットの入口を横切って別の攻撃を開始した。部隊は対戦車砲を装備していたが、この砲は海岸に陸揚げされ、およそ900メートルを兵が手でひっぱってポケットの…

1945年 4月20日『後方で進む基地建設』

南進する米軍 総攻撃の失敗 『4月20日の朝が来た。米軍将兵のムードは前日の朝とはまるで違ったものだった。疲れきっていたし、前進しても日本軍陣地はなかなか突破できないばかりか、損害は大きくなる一方ということを知っているだけに気持ちはますます重く…

1945年 4月19日『米軍の総攻撃「耕す戦法」』

南進する米軍 総攻撃 艦砲射撃と空爆 『ホッジ将軍は、洞窟内の日本軍を駆り出すためには「一寸刻みに爆破するしかない」と4月19日午前6時40分を期して全部隊に空、海、陸からの「耕し戦法」による総攻撃を命じた。陸続と増援部隊も派遣され、沖縄作戦で最大…

1945年 4月18日『戦場の女性たち』

本部半島制圧 『17日も八重岳の北側で激しい戦闘が続いたが、18日の掃討作戦でほぼ本部半島を制圧した。このとき、真部山陣地などから多くの日本軍文書を押収し、捕虜や民間人の尋問などと合わせて国頭支隊の構成を把握した。』(93頁)《名護市史本編・3「名…

1945年 4月17日『馬乗り攻撃と火炎放射器』

沖縄島北部を制圧 本部(もとぶ)半島・名護(なご) 『4月17日、ジーン・W・モーロウ中佐が指揮する第29海兵連隊の第1大隊が八重岳北東頂上を占拠する先陣となった。』(103頁) 《写真記録「これが沖縄戦だ」(大田昌秀 編著/琉球新報社) 103頁より》 八重岳占領…

1945年 4月16日『伊江島の「六日戦争」はじまる』

日本機の攻撃 『九州にある飛行場は、米第58機動部隊がたたいた。だが、それにもかかわらず、日本機は15日と16日、ふたたび相当な数をもって沖縄上空に現れた。16日の空襲では、神風1機が、空母イントレピッドの飛行甲板に体当たりしたのをはじめ、他の特攻…

1945年 4月15日『北部の学徒隊 〜 県立第三中学校 〜』

本部(もとぶ)半島・八重岳の攻略 『海兵隊は堅固な陣地のある小島での戦闘には慣れていた。だが、沖縄での戦闘は過去の経験からではなく、それこそ「教科書のなかからそのまま抜き出した」演習のような戦術を使用しなければならなくなったのである。こうした…

1945年 4月14日『やんばるのゲリラ戦』

本部(もとぶ)半島・八重岳の攻略 『シャプレイ大佐の率いる海兵3大隊は、4月14日、八重岳の東部を攻撃し、夕方までには山の第一稜線を完全に確保した。ここでは退却する日本軍が機関銃や小銃で撃ちまくってきたが、その数はたいしたことはなかった。だが、日…

1945年 4月13日 『生まれた疑心暗鬼』

北進する米軍本部(もとぶ)半島: 八重岳 『〝残存敵軍を掃討せよ〟との命令にもとに海兵第6師団は、4月13日、八重岳の日本軍陣地攻撃準備を開始した。作戦では海兵第4連隊の第1、第2大隊と海兵第29連隊の第3大隊が、アラン・シャプレイ大佐の指揮のもと、西側…

1945年 4月12日『「この島を守っているのは兵隊だ」』

日本機の大空襲 『特攻機の攻撃は、警備艦船や渡具知沖の船団に重点が移った。この日の空襲で艦船17隻が命中弾をうけ、うち2隻が沈没。駆逐艦 M・L・アベルも特攻機と〝バカ爆弾〟をうけて沈んだ。この〝バカ爆弾〟とは、双発爆撃機から発射されるロケット弾…

1945年 4月11日『激しさを増す神風特攻』

日本機の大空襲 『日本機の大空襲は、4月中、ずっと継続して行われた。彼らは、日中は、第58機動部隊や警備艦隊、それに陸上の対空砲火のおよばない距離にある船団をねらって襲撃してきたが、夜になると輸送船団は敵機が近づくと煙幕を張ってかくれたので、…

1945年 4月10日『米軍、津堅島に上陸』

北進する米軍 本部(もとぶ)半島 4月8日から11日にかけて海兵第29連隊は、本部半島一帯を偵察した。 『海兵第3大隊は、4月の10日に渡久地に着いたのだが、その途中、日本軍砲兵隊の砲撃を2回も受けたり、迫撃砲の猛襲にやられて16名の犠牲者を出した。 名護か…

1945年 4月6日『日本海軍の総攻撃』

北進する米軍 名護(なご)・本部(もとぶ) 『海兵第29連隊は、4月6日、許田に着き、そこから島を横切って道路沿いに戦線を敷いた。この辺りで、日本軍は橋を破壊したが、全く馬鹿げたやり方だった。橋のほんの一部だけが壊されたり、落ちたり、ヒビが入ったり…