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1945年 4月28日 『米軍の部隊交替』

南進する米軍 『4月の末までには、前線の部隊交替は、日本軍の陣地が頑強で、しかも早急には陥落しそうにもないことから、どうしても必要だった。第96師団は、沖縄上陸のときから、すでに師団としては十分な兵力をもっていなかったが、戦闘でさらに大きな損…

1945年 4月27日 『戦場の市町村会議』

南進する米軍 城間(ぐすくま):「アイテム・ポケット」 『4月27日、ポケット陣地の南へ着いた戦車隊の最初の2輌は、47ミリ対戦車砲に撃たれて簡単にやられた。そこで戦車隊のほうでは、歩兵と緊密に連携を保って残った日本軍陣地の攻撃に出た。 4月27日の午後…

1945年 4月17日『馬乗り攻撃と火炎放射器』

沖縄島北部を制圧 本部(もとぶ)半島・名護(なご) 『4月17日、ジーン・W・モーロウ中佐が指揮する第29海兵連隊の第1大隊が八重岳北東頂上を占拠する先陣となった。』(103頁) 《写真記録「これが沖縄戦だ」(大田昌秀 編著/琉球新報社) 103頁より》 八重岳占領…

1945年 4月16日『伊江島の「六日戦争」はじまる』

日本機の攻撃 『九州にある飛行場は、米第58機動部隊がたたいた。だが、それにもかかわらず、日本機は15日と16日、ふたたび相当な数をもって沖縄上空に現れた。16日の空襲では、神風1機が、空母イントレピッドの飛行甲板に体当たりしたのをはじめ、他の特攻…

1945年 4月15日『北部の学徒隊 〜 県立第三中学校 〜』

本部(もとぶ)半島・八重岳の攻略 『海兵隊は堅固な陣地のある小島での戦闘には慣れていた。だが、沖縄での戦闘は過去の経験からではなく、それこそ「教科書のなかからそのまま抜き出した」演習のような戦術を使用しなければならなくなったのである。こうした…

1945年 4月14日『やんばるのゲリラ戦』

本部(もとぶ)半島・八重岳の攻略 『シャプレイ大佐の率いる海兵3大隊は、4月14日、八重岳の東部を攻撃し、夕方までには山の第一稜線を完全に確保した。ここでは退却する日本軍が機関銃や小銃で撃ちまくってきたが、その数はたいしたことはなかった。だが、日…

1945年 4月12日『「この島を守っているのは兵隊だ」』

日本機の大空襲 『特攻機の攻撃は、警備艦船や渡具知沖の船団に重点が移った。この日の空襲で艦船17隻が命中弾をうけ、うち2隻が沈没。駆逐艦 M・L・アベルも特攻機と〝バカ爆弾〟をうけて沈んだ。この〝バカ爆弾〟とは、双発爆撃機から発射されるロケット弾…

1945年4月2日『南北に分断された沖縄島』

姿を見せない日本軍 『米軍が実に簡単に上陸し、橋頭堡をあっけなく確保してしまったので、今度は、いったい日本の陸軍はどこにいるのだろうかということになって、噂は噂を呼んだ。そのなかで最も楽観的な見方は、日本軍は戦術で米軍に出し抜かれてしまった…

1945年 4月1日『米軍、沖縄島に上陸』

米軍の沖縄島攻略はじまる 『1945年4月1日、復活祭の日曜日の明けがた。沖縄近海に、まさに進攻せんとする1300隻からなる米大艦隊の威風堂々の姿が望見された。その多くは、西の方 ー 東支那海に浮かんでいる。その日、天気は晴れていたが、空気は冷たかった…

1945年3月31日『沖縄島上陸・前夜』

沖縄本島上陸・前夜 空爆と艦砲射撃 『3月31日の午後までにブランディ提督は、那覇地区の一部危険と思われる陣地を除いて「準備は十分である」との報告をすることができた。日本軍の海岸砲は、米艦隊の艦砲射撃中はまったく鳴りをひそめていて砲口を開かなか…