地上戦

1945年 6月21日 『米軍の「沖縄作戦」終わる』

米軍の「沖縄作戦」終わる 『沖縄作戦は82日間にわたる戦闘の後、1945年6月21日に終わった。豪雨と困難な地形に加えて、狂信的な敵が複雑な洞窟網に拠って頑強に抵抗したため、この戦いはアメリカ軍にとって史上最大の激戦のひとつとなった。 ---「沖縄作戦…

1945年 6月20日 『方面軍からの感状』

後方で進む基地建設 米軍は、沖縄に上陸した直後から、前線では戦闘を、後方では基地建設をした。これは、日本本土への出撃基地とするため、また、沖縄での地上戦の足場として、航空基地建設、補給路確保のインフラ整備が必要なためである。 ピカピカの威容…

1945年 6月19日 『無敵皇軍参謀たちの最後の姿』

新・第10軍司令官 『バックナー中将の戦死は、第10軍参謀長からニミッツ元帥に報告され、…19日、第3海兵軍団長のR・S・ガイガー少将が中将に昇進するとともに第10軍司令官に任命された。海兵隊の将官が軍司令官に任命されたのはこれが初めてだった(ビーニス…

1945年 6月18日 『バックナー中将の戦死』

バックナー中将の戦死 『6月18日の昼すぎ、第10軍司令官バックナー中将は、真壁付近に布陣する第2海兵師団の前線観測所に立ち寄って海兵隊のさいごの進撃状況を視察中、日本軍の47ミリ対戦車砲の一弾が岩の下部に命中し、相次いで五発の砲弾がとんできた。砲…

1945年 6月17日 『生命を助けるビラ』

後方で進む基地建設 米軍は、沖縄に上陸した直後から、前線では戦闘を、後方では基地建設をした。これは、日本本土への出撃基地とするため、また、沖縄での地上戦の足場として、航空基地建設、補給路確保のインフラ整備が必要なためである。6月15日には、普…

1945年 6月16日 『イモとサトウキビ』

南進する米軍 最後の追い込み 前線へ向けて那覇飛行場を行軍する第2海兵師団第8連隊(1945年6月16日) Marines of the 8th Regiment, Second Division, on their way to the front on Okinawa, march across Naha airfield. 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公…

1945年 6月15日 『戦利品への執着』

南進する米軍 墓の外の日本人の死体。もう一体は偵察兵に引きずりだされるところ。壕内の暑さでほとんど着るものを身に付けていない。(1945年 6月15日撮影) One dead Jap already outside, another is pulled out by a Marine scout. Japs take off most o…

1945年 6月14日 『アブチラガマへの攻撃』

南進する米軍 西部〜中央戦線 国吉(くによし・くにし)丘陵 『6月14日、午前3時を期してE中隊とG中隊は進撃を開始したが、2時間後には、先頭の小隊はそれぞれ位置を確保したが、夜明けごろになって、とつぜん猛烈な砲火がおそってきて、米軍は進撃することが…

1945年 6月13日 『2人の少年の冒険』

南進する米軍 西部〜中央戦線 糸満(いとまん) 海兵隊の司令部は糸満の神社に設置された。(1945年 6月13日撮影) Marine C.P. is set up in Jap Shrine in Itoman. 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館 国吉(くによし・くにし)丘陵 『…6月13日の夜明けが訪…

1945年 6月12日 『どうか死んでくれーッ』

南進する米軍 西部戦線 小禄(おろく)半島 小禄半島にて、投降するために丘をよじ登る日本兵。必見。このように日本兵を至近距離で見るのはまれである。白旗に注目。 Jap soldiers scrambling up a hill to surrender on the Oloku peninsula. HOT---rarely s…

1945年 6月11日 『住民は日本兵の盾』

南進する米軍 西部戦線 小禄(おろく)半島 『シェファード少将は、6月11日、午前7時30分を期して、一大総攻撃を命令した。8個大隊のほとんどを動員し、これに戦車隊をつけた。戦車は数日の好天でもはや泥にわざわいされる心配はなくなっていたのである。』(46…

1945年 6月10日 『戦いは米軍の独り舞台となる』

南進する米軍 前線部隊の進軍準備に伴い設置された海兵隊機関銃班(1945年6月10日撮影) Marine Machine Gun team set up as first lines prepare to advance. 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館 ジープやトラックが、[深さ] 2フィート(約60cm)に及ぶ泥道…

1945年 6月9日 『米軍、粟国島に上陸』

南進する米軍 西部戦線 小禄(おろく)半島 小禄半島にて、トンネルを掃討する偵察兵 Patrol cleaning out tunnel. Oroku Peninsula, Okinawa. 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館 負傷した日本人を治療するために小禄半島の後方へ運ぶ海兵隊員と手伝いの沖…

1945年 6月8日 『地域で異なる沖縄戦』

南進する米軍 西部戦線 小禄(おろく)半島 小禄半島--全焼し廃墟となった那覇飛行場の格納庫。骨組みだけとなり、日本軍機の残骸が見える。 OROKU PENINSULA -- Ruined and gutted hangar at Naha Airfield. Only the frames remain and the wreckage of a Ja…

1945年 6月7日 『軍の住民対策』

南進する米軍 西部戦線 小禄(おろく)半島 この頃、海兵隊の前線は4キロものび、小禄の具志村落まで達していた。 『…頑強な日本軍の防衛線にあって、海兵隊は、6月7日、8日と2日間にわたって戦闘でわずかしか進撃できなかったのである。 戦車は使用できなかっ…

1945年 6月6日 『沖縄県民の実情』

南進する米軍 西部戦線 小禄(おろく)半島 『第1海兵師団は、どうやら泥から解放され、6月6日には小禄半島のふもとを通って、道のりの半分ほどまできていた。これは、2つの軍団のあいだのギャップを埋めることにはなったが、同時にその西翼をさらけだすことに…

1945年 6月5日 『海軍の抵抗』

南進する米軍 西部戦線 小禄(おろく)半島・奥武山(おおのやま) 『米軍上陸2日目、作戦は遅々として進まなかった。そしてついに、小禄半島中央近くの筆架山まできたとき、第29連隊は、そこで突然、行き詰まってしまった。一方、米軍は右翼(南)のほうでは、…

1945年 6月4日 『米軍、小禄半島に上陸』

南進する米軍 西部戦線 小禄(おろく)半島・奥武山(おおのやま) 『…午前4時45分、まず砲兵隊が1時間にわたる予備砲撃で、4300発の砲弾を上陸予定地の前にある高台に撃ち込んだ。 第4海兵連隊の第1大隊は、水陸両用戦車を先頭に安里川北部の集結地に上陸し、小…

1945年 6月3日 『米軍、伊平屋島に上陸』

周辺離島の制圧 伊平屋島(いへやじま): 上陸日 『昭和20年6月3日、…朝8時ごろ、空を何機もの米軍機が横切った。』 伊平屋島 米軍上陸 | 沖縄戦の絵 | 沖縄戦70年 語り継ぐ 未来へ | NHK 沖縄放送局 『6月3日、米軍は沖縄本島北西海上の伊平屋島へ上陸した。…

1945年 6月2日 『破壊された琉球の文化財』

南進する米軍 中央戦線 首里(しゅり)・首里城 『汚れた狭い舗装道路は、高爆発性爆弾でこなごなに砕かれ、どんな車輌も通れぬほど、爆弾の穴でいっぱいになっていた。たくさんの屋敷の石垣がくずれて散らばり、瓦礫や砕かれた屋根の赤瓦がうず高く積もってい…

1945年 6月1日 『残存兵の戦場』

南進する米軍 『南部攻撃が6月初日にはじまったとき、海兵隊は日本軍を孤立化させるよりも壊滅させる計画であった。第3上陸軍団は、偵察隊を派遣させたところ、首里付近に残った日本軍の防備陣は、きわめて手薄であることが、すぐに判明したので、軍団長ガイ…

1945年 5月31日 『戦いはまだ続く』

ここまでの米軍の戦果 日本軍の戦死者数 『…5月の末までには、牛島中将麾下の沖縄守備隊の精鋭は、ほとんど撃滅されていた。日本軍の3戦闘部隊--第62師団(藤岡武雄中将)、第24師団(雨宮巽中将)および独立混成第44旅団(鈴木繁二少将)--はすべて前線に出…

1945年 5月30日 『死の行進』

首里に迫る米軍 大移動の意味 『5月28日には、海兵偵察隊は首里の西側で、明らかに日本軍が陣地を脱出したばかりと思われる証拠を発見した。』(427頁) 『その前日、全トラックや車輌120台と、約1千の部隊が、西海岸の糸満付近と、また東風平にあって、沖縄南…

1945年 5月29日 『首里城に侵入した海兵隊』

首里に迫る米軍 中央戦線 首里(しゅり)高地・首里城 『5月29日の午前7時30分、第5海兵連隊第1大隊は進撃を開始し、偵察隊が前の日に、日本軍の防備が薄くなっているらしい、と報告していた首里高地(山川、寒川付近)をめざしていった。この高台地は簡単に占…

1945年 5月28日 『最前線に戻った海軍部隊』

首里に迫る米軍 『5月の末、戦線が首里のまわりに固まるにつれて、首里の町にいちばん近くなったのが、北西部から進んできた第1海兵師団と、北および北東の方角から攻めてきた米第77師団であった。偵察隊の報告によると、日本軍の首里防衛の火力は、いささか…

1945年 5月27日 『さらば、首里よ』

首里に迫る米軍 移動する日本軍への攻撃命令 『5月26日の日本軍の移動が、空中からの観測で報告されたので、バックナー中将は、27日、命令を発し、両軍団(第3上陸軍団と陸軍第24師団)とも、「ただちに強力な攻撃を加え、日本軍を、支離滅裂になるまで攻撃…

1945年 5月26日 『大移動の意味』

首里に迫る米軍 大移動の意味 『米軍は、5月22日からその月の終わりまで、日本軍後方地域を観測させるため飛行機を飛ばしたが、厚い雲の層と豪雨にたたられて行動がひどく制限された。しかし、それでも飛行機は、ほとんど毎日のように、短時間ずつではあった…

1945年 5月25日 『米軍、那覇に進撃』

首里に迫る米軍 『米軍参謀たちは、日本軍は首里で最後まで戦うだろう、と信じていた。米軍が首里に着くまでに、あまりにも戦闘が長びいてしまったので、誰しもが、首里で最後の日本兵が殺されるまで、戦いはずっとつづいていくだろうと考えていたのである。…

1945年 5月24日 『絶好の空襲日和』

首里に迫る米軍 西部〜中央戦線 安里(あさと)川: (首里の南東、弁ガ岳方面から那覇を東西に横断するように流れる) 『未明になってベイリー・ブリッジ構築がはじまり、その日の午後2時30分には作業も完了、戦車1輌は日が暮れる前に渡河用意をした。その同じ日…

1945年 5月23日 『泥と死体とウジ虫と』

首里に迫る米軍 『5月23日の午前中、第1海兵師団と第6海兵師団の境界線が右翼(西)方向に移され、第6海兵師団は陣容を立て直すことになった。第5連隊第3大隊は延びた前線を埋めるべく、第1海兵師団の右翼に入った。』(373頁) 《「ペリリュー・沖縄戦記」(ユ…