収容所

1945年 9月5日 『祖国という観念』

米軍の動向 戦利品 オーウェン・ランディ(右)のとっておきは、長さ30フィートになった、記念の署名入りの紙幣70枚である。(1945年9月5日撮影) Prized possession of Owen Landy (right) is this 70-piece, 30-foot long short-snorter bill. 写真が語る…

1945年 9月3日 『次々と降伏する日本軍部隊』

米軍の動向 飛行中隊の司令部にて行われた対日戦勝記念式。(1945年9月3日撮影) VJ Day ceremonies held by Hq. Squadron. 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館 鹵獲した日本地図を見ながら日本陸軍の代表者と協議する海兵隊の将校。沖縄北端の日本兵の配…

1945年 9月2日 『日本が降伏した日』

日本降伏の日 降伏文書調印式 『昭和20年9月2日、降伏調印の日がきた。 東京、横浜地方は未明に小雨が降った。夜が明けてからも重い雲が空を覆っていた。 …海は鉛色であった。式場の戦艦「ミズリー」は、横須賀沖18マイル錨地に停泊している。横須賀沖といっ…

1945年 8月30日 『日本全土がアメリカ世(ゆ)』

降伏文書調印式までの動向 日本本土への進駐 ④ 『…1945年8月30日、連合国軍最高司令官のダグラス・マッカーサー元帥が厚木飛行場に降り立った。昭和天皇が日本の敗戦を告げた玉音放送から15日後のことだった。』 マッカーサーが厚木に降り立った日から71年。…

1945年 8月28日 『若い兵隊の自殺』

降伏文書調印式までの動向 日本本土への進駐 ② 『連合軍が初めて日本本土に進駐したのは、昭和20年8月28日であった。 この日、連合軍から指定された神奈川県厚木飛行場は、前夜から周囲を三重に取り巻く警戒態勢の下に置かれていた。 連合軍先遣隊の到着は午…

1945年 8月26日 『マイナスからの再建』

降伏文書調印式までの動向 琉球列島の「降伏」 ① 『1945年8月26日午後6時43分、第10軍司令官スティルウェル将軍は、9月2日以後、琉球列島の全日本軍の降伏を受諾せよとの指令を受けた。最初にとった行動は全琉球列島の日本軍指揮官との連絡網を確立すること…

1945年 8月25日 『沖縄人とアメリカ兵』

〝沖縄〟という米軍基地 航空機修理部隊の米軍艦ジェネラル・ダンカンから離陸するヘリコプター。船は水上航空兵站部で、地上に兵站部が配置されるまで、米軍の侵攻部隊を乗せた航空機の修理をしたり部品を提供したりする。この(水上)修理部隊は常時2機のヘリ…

1945年 8月24日 『阿嘉島から屋嘉収容所へ』

〝沖縄〟という米軍基地 墓の正面にある第11空挺師団第511パラシュート歩兵連隊の指令所(1945年8月24日撮影) 511th Parachute Infantry Regiment Command Post, 11th Airborne Division directly in front of an Okinawan Tomb. 写真が語る沖縄 詳細 – 沖…

1945年 8月21日 『消えた村、消えた家』

〝沖縄〟という米軍基地 第3水陸両用軍団司令部の外観(1945年8月21日撮影) View of III Amphibious Marine Corps Command Post. 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館 那覇にある物資補給所(1945年8月21日撮影)/ The Quartermaster Depot at Naha. 写真…

1945年 8月17日 『悲しみのあとは歌』

〝沖縄〟という米軍基地 「東京占領」の準備 嘉手納飛行場の南管制塔から東を望む。第13空輸貨物補給中隊所属、空輸部隊ダグラスC-54輸送機が遠くまで何機も広がる。(1945年8月17日撮影) Looking east from the south operations tower along a strip at K…

1945年 8月16日 『戦争は終わったのか?』

〝沖縄〟という米軍基地 嘉手納飛行場の第389空軍通信センター。(1945年8月16日撮影) The 389th Air Service Group message center at Kadena Airfield, Okinawa, Ryukyu Retto. 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館 第32軍の敗残兵 恩納(おんな)岳: 第4…

1945年 8月15日 『それぞれの〝終戦の日〟』

日本、敗戦 『アメリカ東部時間(東部戦争時間)14日午後7時、トルーマン大統領がホワイトハウスで記者会見し、日本の降伏を正式に発表。8月14日が対日戦勝記念日「VJデー」となる。』 President Harry S. Truman reads to newsmen his announcement of the …

1945年 8月12日 『魚釣島からの決死隊』

〝沖縄〟という米軍基地 フィリピン諸島ルソン島から読谷飛行場に着いたばかりのコンソリデーテッドB-32の給油の様子。この2機は日本が降伏したといううわさを聞いた後、日本上空で写真偵察中に攻撃を受けた。2機ともひどくやられたが犠牲者はなかった。これ…

1945年 8月11日 『歓喜に沸く連合国』

日本の降伏に世界が歓喜 『日本政府の対外情報発信を担う「同盟通信社」が8月10日、対外放送で、日本の降伏受け入れ意思を表明した。翌11日のアメリカ新聞各紙には「日本、降伏受け入れ」の活字が大きく踊った。連合国は歓喜に沸いた。 しかしこのニュースは…

1945年 8月10日 『ジャップ・サレンダー』

御前会議 ポツダム宣言の受諾を決意 『8月9日午後11時50分、皇居内にある御文庫附属庫。約50平方メートルほどの地下の防空壕で、昭和天皇が参席する御前会議が始まった。議題は一つ、ポツダム宣言を条件1つで受け入れるか、それとも4つの条件をつけるか。 前…

1945年 8月8日 『ソ連、日本に宣戦布告』

ソ連、日本に宣戦布告 『太平洋戦争で絶望的な戦況に追い込まれていた日本の、唯一の望みは、ソ連による和平仲介だった。1945年2月のヤルタ会談でソ連の対日参戦が密約され、1945年4月5日にソ連は、日ソ中立条約を延長しないと通告していた。それでも日本は…

1945年 8月7日 『久志地区』

〝沖縄〟という米軍基地 普天間のB-29滑走路で第3誘導路の基盤用に石灰岩をどさっと降ろす第854工兵航空大隊のトゥアナプル。地ならしの後、ブルドーザーで地面は平坦にされる。(1945年 8月7日撮影) Tournapull of the 854th EAB dumping coral sand for t…

1945年 8月6日 『ATROCITIES (残虐行為) in 広島』

米軍、原子爆弾を使用する 1945年8月6日、広島に原子爆弾を投下した「エノラ・ゲイ」号の離陸前に手を振る操縦士のポール・W・ティベッツ大佐。 " Col. Paul W. Tibbets, Jr., pilot of the ENOLA GAY, the plane that dropped the atomic bomb on Hiroshima…

1945年 8月5日 『収容所から収容所へ』

米軍の動向 映画観賞 6人のGIがジープに座って映画を鑑賞中。(1945年8月5日撮影) Okinawa, Moving Pictures 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館 (投稿者註: リンク先の和訳を投稿者が要約) 第32軍の敗残兵 国吉(くによし・くにし): 歩兵第32連隊第1大隊…

1945年 8月4日 『戦場でひとりぼっち』

〝沖縄〟という米軍基地 第7海軍建設大隊による飛行艇基地の建設。(1945年8月4日撮影) Construction of Seaplane base on Okinawa by 7th CB's. 4 Aug. 1945. 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館 第32軍の敗残兵 「解散命令」後の学徒たち 6月18日、第3…

1945年 8月3日 『沖縄人のための野戦病院』

〝沖縄〟という米軍基地 このサーチライト・レーダーは泡瀬飛行場上空に飛来した日本軍機を追跡する準備ができている。SCR268レーダーの技師は設備のチェックをしている。8億燭光のサーチライトは3万フィートのカーボンアーク・ビームを投げかけ、いつでも作動…

1945年 8月1日 『生きるためには』

〝沖縄〟という米軍基地 護衛空母シェナンゴ(CVE-28)。バックナー・ベイ(中城湾)に停泊している様子。(1945年8月1日撮影) USS CHENANGO (CVE-28) at anchor in Buckner Bay, Okinawa. 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館 第32軍の敗残兵 恩納(おん…

1945年 7月31日 『米陸軍と米海軍』

〝沖縄〟という米軍基地 『陸海軍の共同作戦としておこなわれた米軍による沖縄進攻作戦は1945年7月初めには完了し、7月31日をもって、陸海軍の統合作戦は終了することとなった。その前の7月21日から23日にかけて海軍太平洋艦隊司令部と陸軍太平洋軍司令部、…

1945年 7月30日 『命を救った血漿輸血』

〝沖縄〟という米軍基地 MK-13魚雷が正確な角度で飛ぶように翼のバランスを確かめる第47爆撃中隊第41爆撃群の二人の兵士。沖縄。(1945年7月30日撮影) A couple of men of the 41st Bomb Group, 47th Bomb Squadron, are shown as they ”balanced” the wing…

1945年 7月29日 『敵がきた!敵がきた!』

〝沖縄〟という米軍基地 九州上空での任務へ向かう第7空軍第11爆撃群のコンソリデーテッドB-24リベレーター。沖縄。(1945年7月29日撮影) 7th Air Force Consolidated B-24 ”Liberator” of the 11th Bomb Group, enroute to bombing mission over Kyushu, …

1945年 7月28日 『軍事基地の確立』

〝沖縄〟という米軍基地 『米軍が沖縄に侵攻したのは、日本本土上陸作戦に向けての軍事拠点の確保が目的だった。沖縄攻略作戦は「アイスバーグ作戦」と呼ばれているが、この「アイスバーグ作戦の目的」は、「日本本土ならびに周辺海域から接近する敵海軍及び…

1945年 7月27日 『地獄から天国にきた気分』

〝沖縄〟という米軍基地 九州トゴシマ[カゴシマであろう]鉄道操車場への空襲を終えてきたばかりのコンソリデーテッドB-24リベレーター、バグズ・ボンビーJr.の乗組員。第7空軍第11爆撃群第42爆撃中隊。沖縄。(1945年7月27日撮影) Crew of the Consolidated …

1945年 7月26日 『ウルマ新報』

〝沖縄〟という米軍基地 上陸用舟艇から出るのは装置を積んだ大型トラック(6段変速6輪トラック)。写真偵察群。このトラックはこれからぬかるんだ道を通って3マイル先の区域まで移動する。本部地区。(1945年7月26日撮影) A 6x6 of the Photo Reconnaissance…

1945年 7月25日 『戦争と性犯罪』

米軍による占領統治 米兵の性犯罪 『…本部(もとぶ)では早い時期から米兵によるレイプなどの性犯罪がおこなわれていた。それらは海兵隊員によるものだった。後の時期になると補充要員としてやってきた兵士の質が悪かったというような言い訳もあるが、すでに沖…

1945年 7月24日 『それぞれの食糧事情』

米軍による占領統治 配給と自給 『沖縄の「戦後」は、沖縄戦と米軍による占領統治が同時に進行する中に始まる。米軍は沖縄上陸後、住民を収容するとともに、米国太平洋艦隊及太平洋区域司令長官兼南西諸島及其近海軍政府総長である米国海軍元帥C・W・ニミッ…