収容所

1945年 8月16日 『戦争は終わったのか?』

〝沖縄〟という米軍基地 嘉手納飛行場の第389空軍通信センター。(1945年8月16日撮影) The 389th Air Service Group message center at Kadena Airfield, Okinawa, Ryukyu Retto. 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館 第32軍の敗残兵 恩納(おんな)岳: 第4…

1945年 8月15日 『それぞれの〝終戦の日〟』

日本、敗戦 『アメリカ東部時間(東部戦争時間)14日午後7時、トルーマン大統領がホワイトハウスで記者会見し、日本の降伏を正式に発表。8月14日が対日戦勝記念日「VJデー」となる。』 President Harry S. Truman reads to newsmen his announcement of the …

1945年 8月12日 『魚釣島からの決死隊』

〝沖縄〟という米軍基地 フィリピン諸島ルソン島から読谷飛行場に着いたばかりのコンソリデーテッドB-32の給油の様子。この2機は日本が降伏したといううわさを聞いた後、日本上空で写真偵察中に攻撃を受けた。2機ともひどくやられたが犠牲者はなかった。これ…

1945年 8月11日 『歓喜に沸く連合国』

日本の降伏に世界が歓喜 『日本政府の対外情報発信を担う「同盟通信社」が8月10日、対外放送で、日本の降伏受け入れ意思を表明した。翌11日のアメリカ新聞各紙には「日本、降伏受け入れ」の活字が大きく踊った。連合国は歓喜に沸いた。 しかしこのニュースは…

1945年 8月10日 『ジャップ・サレンダー』

御前会議 ポツダム宣言の受諾を決意 『8月9日午後11時50分、皇居内にある御文庫附属庫。約50平方メートルほどの地下の防空壕で、昭和天皇が参席する御前会議が始まった。議題は一つ、ポツダム宣言を条件1つで受け入れるか、それとも4つの条件をつけるか。 前…

1945年 8月8日 『ソ連、日本に宣戦布告』

ソ連、日本に宣戦布告 『太平洋戦争で絶望的な戦況に追い込まれていた日本の、唯一の望みは、ソ連による和平仲介だった。1945年2月のヤルタ会談でソ連の対日参戦が密約され、1945年4月5日にソ連は、日ソ中立条約を延長しないと通告していた。それでも日本は…

1945年 8月7日 『久志地区』

〝沖縄〟という米軍基地 普天間のB-29滑走路で第3誘導路の基盤用に石灰岩をどさっと降ろす第854工兵航空大隊のトゥアナプル。地ならしの後、ブルドーザーで地面は平坦にされる。(1945年 8月7日撮影) Tournapull of the 854th EAB dumping coral sand for t…

1945年 8月6日 『ATROCITIES (残虐行為) in 広島』

米軍、原子爆弾を使用する 1945年8月6日、広島に原子爆弾を投下した「エノラ・ゲイ」号の離陸前に手を振る操縦士のポール・W・ティベッツ大佐。 " Col. Paul W. Tibbets, Jr., pilot of the ENOLA GAY, the plane that dropped the atomic bomb on Hiroshima…

1945年 8月5日 『収容所から収容所へ』

米軍の動向 映画観賞 6人のGIがジープに座って映画を鑑賞中。(1945年8月5日撮影) Okinawa, Moving Pictures 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館 (投稿者註: リンク先の和訳を投稿者が要約) 第32軍の敗残兵 国吉(くによし・くにし): 歩兵第32連隊第1大隊…

1945年 8月4日 『戦場でひとりぼっち』

〝沖縄〟という米軍基地 第7海軍建設大隊による飛行艇基地の建設。(1945年8月4日撮影) Construction of Seaplane base on Okinawa by 7th CB's. 4 Aug. 1945. 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館 第32軍の敗残兵 「解散命令」後の学徒たち 6月18日、第3…

1945年 8月3日 『沖縄人のための野戦病院』

〝沖縄〟という米軍基地 このサーチライト・レーダーは泡瀬飛行場上空に飛来した日本軍機を追跡する準備ができている。SCR268レーダーの技師は設備のチェックをしている。8億燭光のサーチライトは3万フィートのカーボンアーク・ビームを投げかけ、いつでも作動…

1945年 8月1日 『生きるためには』

〝沖縄〟という米軍基地 護衛空母シェナンゴ(CVE-28)。バックナー・ベイ(中城湾)に停泊している様子。(1945年8月1日撮影) USS CHENANGO (CVE-28) at anchor in Buckner Bay, Okinawa. 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館 第32軍の敗残兵 恩納(おん…

1945年 7月31日 『米陸軍と米海軍』

〝沖縄〟という米軍基地 『陸海軍の共同作戦としておこなわれた米軍による沖縄進攻作戦は1945年7月初めには完了し、7月31日をもって、陸海軍の統合作戦は終了することとなった。その前の7月21日から23日にかけて海軍太平洋艦隊司令部と陸軍太平洋軍司令部、…

1945年 7月30日 『命を救った血漿輸血』

〝沖縄〟という米軍基地 MK-13魚雷が正確な角度で飛ぶように翼のバランスを確かめる第47爆撃中隊第41爆撃群の二人の兵士。沖縄。(1945年7月30日撮影) A couple of men of the 41st Bomb Group, 47th Bomb Squadron, are shown as they ”balanced” the wing…

1945年 7月29日 『敵がきた!敵がきた!』

〝沖縄〟という米軍基地 九州上空での任務へ向かう第7空軍第11爆撃群のコンソリデーテッドB-24リベレーター。沖縄。(1945年7月29日撮影) 7th Air Force Consolidated B-24 ”Liberator” of the 11th Bomb Group, enroute to bombing mission over Kyushu, …

1945年 7月28日 『軍事基地の確立』

〝沖縄〟という米軍基地 『米軍が沖縄に侵攻したのは、日本本土上陸作戦に向けての軍事拠点の確保が目的だった。沖縄攻略作戦は「アイスバーグ作戦」と呼ばれているが、この「アイスバーグ作戦の目的」は、「日本本土ならびに周辺海域から接近する敵海軍及び…

1945年 7月27日 『地獄から天国にきた気分』

〝沖縄〟という米軍基地 九州トゴシマ[カゴシマであろう]鉄道操車場への空襲を終えてきたばかりのコンソリデーテッドB-24リベレーター、バグズ・ボンビーJr.の乗組員。第7空軍第11爆撃群第42爆撃中隊。沖縄。(1945年7月27日撮影) Crew of the Consolidated …

1945年 7月26日 『ウルマ新報』

〝沖縄〟という米軍基地 上陸用舟艇から出るのは装置を積んだ大型トラック(6段変速6輪トラック)。写真偵察群。このトラックはこれからぬかるんだ道を通って3マイル先の区域まで移動する。本部地区。(1945年7月26日撮影) A 6x6 of the Photo Reconnaissance…

1945年 7月25日 『戦争と性犯罪』

米軍による占領統治 米兵の性犯罪 『…本部(もとぶ)では早い時期から米兵によるレイプなどの性犯罪がおこなわれていた。それらは海兵隊員によるものだった。後の時期になると補充要員としてやってきた兵士の質が悪かったというような言い訳もあるが、すでに沖…

1945年 7月24日 『それぞれの食糧事情』

米軍による占領統治 配給と自給 『沖縄の「戦後」は、沖縄戦と米軍による占領統治が同時に進行する中に始まる。米軍は沖縄上陸後、住民を収容するとともに、米国太平洋艦隊及太平洋区域司令長官兼南西諸島及其近海軍政府総長である米国海軍元帥C・W・ニミッ…

1945年 7月22日 『爆撃機は、北へ、北へ』

〝沖縄〟という米軍基地 第90及び第380爆撃群のコンソリデーテッドB-24に燃料補給する第324及び第305飛行場中隊。沖縄。(1945年7月22日撮影) Consolidated B-24's of the 90th and 380th Bomb Groups are seen here being refueled by the 324th and the 3…

1945年 7月19日 『陸軍病院配属兵の抵抗』

米軍の動向 日本軍陣地の調査 墓の内部と壕を調べる第10軍の兵士。(1945年7月19日撮影、場所:糸満) Tenth Army soldiers inspect Jap burial vaults and caves at Itoman. 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館 第32軍の敗残兵 捕虜になった日本兵 高級参…

1945年 7月18日 『八原の軍作業体験』

〝沖縄〟という米軍基地 屋宜の部落に建設中の共同通信センター。手前はコンクリートの枠づくり。(1945年7月18日撮影) The joint communication center is under construction at the village of Yaji. The concrete mold is being built in the foregroun…

1945年 7月17日 『八原の脱出計画』

〝沖縄〟という米軍基地 泡瀬飛行場にある第14海兵航空群野営地の全景(北方面)。沖縄本島にて。着工から19日後。(1945年7月17日撮影) Panorama (north) of MAG-14 camp site at Awase Airstrip, Okinawa, nineteen days after breaking ground. 写真が語…

1945年 7月16日 『沖縄の人々は順応である』

〝沖縄〟という米軍基地 通常は輸送管を海に入れる際、その端を保護するために用いられるそり。しかし今回は珊瑚礁があるために輸送管を浮かせ、そりは使われていない。(1945年7月16日撮影) Sled generally used to protect end of pipeline as it is pull…

1945年 7月15日 『因果はめぐる』

〝沖縄〟という米軍基地 2号線と16号線の交差点に立てられたハイウェイの標識。標識は1-N号線の東100フィートの所に立てられ、16-E号線から来る際にも見える。(1945年7月15日撮影) The highway marker has been erected at the traffic circle at the junc…

1945年 7月14日 『屋嘉収容所』

〝沖縄〟という米軍基地 50口径機関砲(1945年7月14日撮影) Okinawa-Guns & Weapons Machine Gun 50 cal. 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館 米軍の動向 米兵の行動 戦利品(1945年7月14日撮影)Okinawa-souvenirs. 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書…

1945年 7月13日 『ハンセン病患者と沖縄戦』

そのとき、住民は・・・ ハンセン病患者と沖縄戦 『日本のハンセン病に対する政策は、1907年制定の法律「癩予防に関する件」以来、患者を隔離するというものだった。それが1931年に全面的に改正されて「癩予防法」となり、全患者の隔離が打ち出された。ハン…

1945年 7月12日 『収容所で再会』

〝沖縄〟という米軍基地 第504高射砲兵大隊D中隊の司令部の配置と射撃統制。後方は金武湾。(1945年7月12日撮影) Fire Control and command post layout of Battery ”D” 504th Antiaircraft Artillery Gun Battalion, Kin Wan in background. 写真が語る沖…

1945年 7月10日 『弱者たちの沖縄戦』

〝沖縄〟という米軍基地 グァムからの6時間のフライトを終え読谷飛行場へ入ったC-54ダグラス・スカイマスター。海軍空輸隊のこれらの飛行機は優先度の高い人員、医薬品、補給物資などを運ぶ。グァムへ帰るときには傷病者を乗せていった。(1945年7月10日撮影…

1945年 7月8日 『沖縄人には時間もなく、人生もない』

〝沖縄〟という米軍基地 沖縄に最初に降り立った飛行機の中の一つ、第41爆撃群第48爆撃中隊ダグラスA-26インヴェイダー。(1945年7月8日撮影) This Douglas A-26 ”Invader” was one of the first to land on Okinawa. 48th Bomb Squadron, 41st Bomb Group.…

1945年 7月7日 『ハワイに送られた捕虜』

〝沖縄〟という米軍基地 読谷飛行場に駐機するジョージ・ケニーズ大将のボーイングB-17フライング・フォートレス。この写真は極東空軍指揮官が第308爆撃航空団を訪れた時に写したものである。(1945年7月7日撮影) General George Kenneys' Boeing B-17 ”Flyin…

1945年 7月6日 『軍作業』

〝沖縄〟という米軍基地 ボーイングB-29スーパーフォートレスには頑丈な滑走路が欠かせない。普天間の第2滑走路では、第806工兵航空大隊の地ならし機が長さ8500フィート、幅200フィートそして厚さ12インチの石灰岩の地表にあるくぼみを埋めている。(1945年7…

1945年 7月4日 『捕虜収容所にいた画家』

〝沖縄〟という米軍基地 嘉手納飛行場B滑走路から約50ヤードの場所にある第807工兵航空大隊ウォーター・ポイント。6×6トラックに引かれた散水車に4分の1マイル離れた小川から水が汲み上げられる。水は滑走路や道路を乾燥させないように散水される。(1945年7…

1945年 6月28日 『沖縄の基地化と収容所』

戦闘後の米軍 摩文仁の丘の星条旗 日本軍が司令部を置いていた89高地での国旗掲揚式。参加者は第10軍司令官スティルウェル将軍、第24陸軍兵団司令官ホッジ少将、沖縄海兵隊司令官兼第7師団・連隊司令官ガイガー中将。(1945年6月28日撮影) Flag raising cere…

1945年 6月25日 『民間人捕虜になる』

掃討作戦 南部では、多くの日本軍のトラックが破壊または鹵獲された。溝にはまって機関銃でハチの巣にされたトラックを調べる憲兵。(1945年6月25日撮影) In Southern Okinawa, many Japanese trucks were destroyed or captured, here MPs are shown inspe…

1945年 6月15日 『戦利品への執着』

南進する米軍 墓の外の日本人の死体。もう一体は偵察兵に引きずりだされるところ。壕内の暑さでほとんど着るものを身に付けていない。(1945年 6月15日撮影) One dead Jap already outside, another is pulled out by a Marine scout. Japs take off most o…

1945年 6月11日 『住民は日本兵の盾』

南進する米軍 西部戦線 小禄(おろく)半島 『シェファード少将は、6月11日、午前7時30分を期して、一大総攻撃を命令した。8個大隊のほとんどを動員し、これに戦車隊をつけた。戦車は数日の好天でもはや泥にわざわいされる心配はなくなっていたのである。』(46…

1945年 6月6日 『沖縄県民の実情』

南進する米軍 西部戦線 小禄(おろく)半島 『第1海兵師団は、どうやら泥から解放され、6月6日には小禄半島のふもとを通って、道のりの半分ほどまできていた。これは、2つの軍団のあいだのギャップを埋めることにはなったが、同時にその西翼をさらけだすことに…

1945年 6月5日 『海軍の抵抗』

南進する米軍 西部戦線 小禄(おろく)半島・奥武山(おおのやま) 『米軍上陸2日目、作戦は遅々として進まなかった。そしてついに、小禄半島中央近くの筆架山まできたとき、第29連隊は、そこで突然、行き詰まってしまった。一方、米軍は右翼(南)のほうでは、…

1945年 6月3日 『米軍、伊平屋島に上陸』

周辺離島の制圧 伊平屋島(いへやじま): 上陸日 『昭和20年6月3日、…朝8時ごろ、空を何機もの米軍機が横切った。』 伊平屋島 米軍上陸 | 沖縄戦の絵 | 沖縄戦70年 語り継ぐ 未来へ | NHK 沖縄放送局 『6月3日、米軍は沖縄本島北西海上の伊平屋島へ上陸した。…

1945年 6月2日 『破壊された琉球の文化財』

南進する米軍 中央戦線 首里(しゅり)・首里城 『汚れた狭い舗装道路は、高爆発性爆弾でこなごなに砕かれ、どんな車輌も通れぬほど、爆弾の穴でいっぱいになっていた。たくさんの屋敷の石垣がくずれて散らばり、瓦礫や砕かれた屋根の赤瓦がうず高く積もってい…

1945年 5月28日 『最前線に戻った海軍部隊』

首里に迫る米軍 『5月の末、戦線が首里のまわりに固まるにつれて、首里の町にいちばん近くなったのが、北西部から進んできた第1海兵師団と、北および北東の方角から攻めてきた米第77師団であった。偵察隊の報告によると、日本軍の首里防衛の火力は、いささか…

1945年 5月20日 『真っ赤な戦場』

日本機の襲撃 ほとんど毎晩日本軍機が読谷飛行場周辺に爆弾を落とし、翌朝にはこのくらい大きい穴ができていることもある(1945年 5月20日撮影) It Happens at Yontan--Almost every night Jap planes drop bombs around the Marine Yontan strip at Okinaw…

1945年 5月18日 『まるで臭い生ゴミの山』

後方で進む基地建設 米軍は、沖縄に上陸した直後から、前線では戦闘を、後方では基地建設をした。これは、日本本土への出撃基地とするため、また、沖縄での地上戦の足場として、航空基地建設、補給路確保のインフラ整備が必要なためだ。 『沖縄と伊江島に基…

1945年 5月17日 『死者は血の海に横たわる』

後方で進む基地建設 米軍は、沖縄に上陸した直後から、前線では戦闘を、後方では基地建設をした。これは、日本本土への出撃基地とするため、また、沖縄での地上戦の足場として、航空基地建設、補給路確保のインフラ整備が必要なためだ。 『沖縄と伊江島に基…

1945年 5月16日 『沢山のブリキの兵隊』

後方で進む基地建設 米軍は、沖縄に上陸した直後から、前線では戦闘を、後方では基地建設をした。これは、日本本土への出撃基地とするため、また、沖縄での地上戦の足場として、航空基地建設、補給路確保のインフラ整備が必要なためだ。 『沖縄と伊江島に基…

1945年 5月9日 『島の激変ぶり』

米軍の総攻撃・2日前 『バックナー中将は、5月9日、第10軍に対して、11日に総攻撃を開始するよう命令を下した。』(334頁) 『現時点における第24軍団の作戦区域は、東は第1海兵師団との境界線から与那原の戦線にまでのび、西から東へ第6海兵、第1海兵、第77歩…

1945年 5月7日 『収容所の青空学校』

南進する米軍 『5月7日、米第24軍団長のホッジ少将は、第10軍の共同作戦の予備作戦として、進撃を続行し、8日の夕暮れまでには、安謝ー沢岻ー我謝の線を確保せよ、との命令を下した。』(324頁) 《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳/光人社…

1945年 4月7日『帝国海軍連合艦隊のさいご』

北進する米軍 名護(なご)・本部(もとぶ)半島 『海兵第29連隊は偵察隊や偵察戦車隊の後から、4月7日、名護に入った。名護は沖縄島から西方に突き出ている本部半島の深く曲がったところに具合よく位置をしめた中ぐらいの大きさの町だ。部隊の先鋒は本部をまっ…