インフラ整備・基地建設

1945年 8月14日 『宮古の沖縄戦』

〝沖縄〟という米軍基地 沖縄本島の馬天港にある海軍作戦基地指令部。下士官用兵舎、赤十字用宿舎、食堂。(1945年8月14日撮影) NOB Headquarters at Baten Ko, Okinawa. Enlisted men's quarters, Red Cross hut and chow hall. 写真が語る沖縄 詳細 – 沖…

1945年 8月12日 『魚釣島からの決死隊』

〝沖縄〟という米軍基地 フィリピン諸島ルソン島から読谷飛行場に着いたばかりのコンソリデーテッドB-32の給油の様子。この2機は日本が降伏したといううわさを聞いた後、日本上空で写真偵察中に攻撃を受けた。2機ともひどくやられたが犠牲者はなかった。これ…

1945年 8月11日 『歓喜に沸く連合国』

日本の降伏に世界が歓喜 『日本政府の対外情報発信を担う「同盟通信社」が8月10日、対外放送で、日本の降伏受け入れ意思を表明した。翌11日のアメリカ新聞各紙には「日本、降伏受け入れ」の活字が大きく踊った。連合国は歓喜に沸いた。 しかしこのニュースは…

1945年 8月10日 『ジャップ・サレンダー』

御前会議 ポツダム宣言の受諾を決意 『8月9日午後11時50分、皇居内にある御文庫附属庫。約50平方メートルほどの地下の防空壕で、昭和天皇が参席する御前会議が始まった。議題は一つ、ポツダム宣言を条件1つで受け入れるか、それとも4つの条件をつけるか。 前…

1945年 8月9日 『地獄と化した長崎』

米軍、「再度」原子爆弾を使用する 『8月9日の午前2時すぎ、原爆搭載機ボックスカー(B29)が、テニアン島のノース・フィールド飛行場を発進した。同機は北へ進路をとり硫黄島上空へ。硫黄島から進路を西にとり、屋久島上空へ到達した。そこで、気象観測機…

1945年 8月7日 『久志地区』

〝沖縄〟という米軍基地 普天間のB-29滑走路で第3誘導路の基盤用に石灰岩をどさっと降ろす第854工兵航空大隊のトゥアナプル。地ならしの後、ブルドーザーで地面は平坦にされる。(1945年 8月7日撮影) Tournapull of the 854th EAB dumping coral sand for t…

1945年 8月6日 『ATROCITIES (残虐行為) in 広島』

米軍、原子爆弾を使用する 1945年8月6日、広島に原子爆弾を投下した「エノラ・ゲイ」号の離陸前に手を振る操縦士のポール・W・ティベッツ大佐。 " Col. Paul W. Tibbets, Jr., pilot of the ENOLA GAY, the plane that dropped the atomic bomb on Hiroshima…

1945年 8月4日 『戦場でひとりぼっち』

〝沖縄〟という米軍基地 第7海軍建設大隊による飛行艇基地の建設。(1945年8月4日撮影) Construction of Seaplane base on Okinawa by 7th CB's. 4 Aug. 1945. 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館 第32軍の敗残兵 「解散命令」後の学徒たち 6月18日、第3…

1945年 8月3日 『沖縄人のための野戦病院』

〝沖縄〟という米軍基地 このサーチライト・レーダーは泡瀬飛行場上空に飛来した日本軍機を追跡する準備ができている。SCR268レーダーの技師は設備のチェックをしている。8億燭光のサーチライトは3万フィートのカーボンアーク・ビームを投げかけ、いつでも作動…

1945年 8月2日 『国頭突破するためには』

〝沖縄〟という米軍基地 高射砲隊の陣地は敵味方全ての飛行機を識別するこの観測局によって強化される。SCR584パラボラレーダーは長方形の敵味方識別装置が作動する時に追跡を開始。レーダーは中継で発信点から目標までの直線距離をコンピューターと那覇飛行…

1945年 8月1日 『生きるためには』

〝沖縄〟という米軍基地 護衛空母シェナンゴ(CVE-28)。バックナー・ベイ(中城湾)に停泊している様子。(1945年8月1日撮影) USS CHENANGO (CVE-28) at anchor in Buckner Bay, Okinawa. 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館 第32軍の敗残兵 恩納(おん…

1945年 7月31日 『米陸軍と米海軍』

〝沖縄〟という米軍基地 『陸海軍の共同作戦としておこなわれた米軍による沖縄進攻作戦は1945年7月初めには完了し、7月31日をもって、陸海軍の統合作戦は終了することとなった。その前の7月21日から23日にかけて海軍太平洋艦隊司令部と陸軍太平洋軍司令部、…

1945年 7月30日 『命を救った血漿輸血』

〝沖縄〟という米軍基地 MK-13魚雷が正確な角度で飛ぶように翼のバランスを確かめる第47爆撃中隊第41爆撃群の二人の兵士。沖縄。(1945年7月30日撮影) A couple of men of the 41st Bomb Group, 47th Bomb Squadron, are shown as they ”balanced” the wing…

1945年 7月29日 『敵がきた!敵がきた!』

〝沖縄〟という米軍基地 九州上空での任務へ向かう第7空軍第11爆撃群のコンソリデーテッドB-24リベレーター。沖縄。(1945年7月29日撮影) 7th Air Force Consolidated B-24 ”Liberator” of the 11th Bomb Group, enroute to bombing mission over Kyushu, …

1945年 7月28日 『軍事基地の確立』

〝沖縄〟という米軍基地 『米軍が沖縄に侵攻したのは、日本本土上陸作戦に向けての軍事拠点の確保が目的だった。沖縄攻略作戦は「アイスバーグ作戦」と呼ばれているが、この「アイスバーグ作戦の目的」は、「日本本土ならびに周辺海域から接近する敵海軍及び…

1945年 7月27日 『地獄から天国にきた気分』

〝沖縄〟という米軍基地 九州トゴシマ[カゴシマであろう]鉄道操車場への空襲を終えてきたばかりのコンソリデーテッドB-24リベレーター、バグズ・ボンビーJr.の乗組員。第7空軍第11爆撃群第42爆撃中隊。沖縄。(1945年7月27日撮影) Crew of the Consolidated …

1945年 7月26日 『ウルマ新報』

〝沖縄〟という米軍基地 上陸用舟艇から出るのは装置を積んだ大型トラック(6段変速6輪トラック)。写真偵察群。このトラックはこれからぬかるんだ道を通って3マイル先の区域まで移動する。本部地区。(1945年7月26日撮影) A 6x6 of the Photo Reconnaissance…

1945年 7月23日 『片手に手榴弾、片手に白い布片』

〝沖縄〟という米軍基地 航空守備軍管制センター用地内にある砂袋で覆われた航空守備軍の中枢部。内部につながる電線はレーダーでキャッチした敵の位置を受け、その情報を高射砲及びサーチライト砲兵隊へ送る。この島では航空守備軍は第2海兵師団のもと機能…

1945年 7月22日 『爆撃機は、北へ、北へ』

〝沖縄〟という米軍基地 第90及び第380爆撃群のコンソリデーテッドB-24に燃料補給する第324及び第305飛行場中隊。沖縄。(1945年7月22日撮影) Consolidated B-24's of the 90th and 380th Bomb Groups are seen here being refueled by the 324th and the 3…

1945年 7月21日 『生き埋め』

〝沖縄〟という米軍基地 ペリーマン一等兵。彼は第31海兵隊航空群兵站部で爆弾クレーンを操縦していて、日本に向かう途上、爆発物を飛行機まで運ぼうと、吊り上げて荷車に積み始めた。(1945年7月21日撮影) Private First Class Harry W. Perryman, of Newark, …

1945年 7月20日 『警部補の沖縄島脱出』

〝沖縄〟という米軍基地 読谷飛行場に降り立ち、歓迎の出迎えを受ける “ハップ” アーノルド陸軍大将。(1945年7月20日撮影) General view of Army General ”Hap” Arnold being welcomed as he stepped down from plane on Yontan Airfield, Okinawa. 写真が…

1945年 7月18日 『八原の軍作業体験』

〝沖縄〟という米軍基地 屋宜の部落に建設中の共同通信センター。手前はコンクリートの枠づくり。(1945年7月18日撮影) The joint communication center is under construction at the village of Yaji. The concrete mold is being built in the foregroun…

1945年 7月17日 『八原の脱出計画』

〝沖縄〟という米軍基地 泡瀬飛行場にある第14海兵航空群野営地の全景(北方面)。沖縄本島にて。着工から19日後。(1945年7月17日撮影) Panorama (north) of MAG-14 camp site at Awase Airstrip, Okinawa, nineteen days after breaking ground. 写真が語…

1945年 7月16日 『沖縄の人々は順応である』

〝沖縄〟という米軍基地 通常は輸送管を海に入れる際、その端を保護するために用いられるそり。しかし今回は珊瑚礁があるために輸送管を浮かせ、そりは使われていない。(1945年7月16日撮影) Sled generally used to protect end of pipeline as it is pull…

1945年 7月15日 『因果はめぐる』

〝沖縄〟という米軍基地 2号線と16号線の交差点に立てられたハイウェイの標識。標識は1-N号線の東100フィートの所に立てられ、16-E号線から来る際にも見える。(1945年7月15日撮影) The highway marker has been erected at the traffic circle at the junc…

1945年 7月14日 『屋嘉収容所』

〝沖縄〟という米軍基地 50口径機関砲(1945年7月14日撮影) Okinawa-Guns & Weapons Machine Gun 50 cal. 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館 米軍の動向 米兵の行動 戦利品(1945年7月14日撮影)Okinawa-souvenirs. 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書…

1945年 7月12日 『収容所で再会』

〝沖縄〟という米軍基地 第504高射砲兵大隊D中隊の司令部の配置と射撃統制。後方は金武湾。(1945年7月12日撮影) Fire Control and command post layout of Battery ”D” 504th Antiaircraft Artillery Gun Battalion, Kin Wan in background. 写真が語る沖…

1945年 7月11日 『戦争マラリア』

〝沖縄〟という米軍基地 第7建設大隊による工事。沖縄にて。弾薬運搬用桟橋と杭打ち機。(1945年7月11日撮影) Construction by 7th CB on Okinawa, Ryukyu Islands. Ammunition pier and pile driver. 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館 第7建設大隊に…

1945年 7月10日 『弱者たちの沖縄戦』

〝沖縄〟という米軍基地 グァムからの6時間のフライトを終え読谷飛行場へ入ったC-54ダグラス・スカイマスター。海軍空輸隊のこれらの飛行機は優先度の高い人員、医薬品、補給物資などを運ぶ。グァムへ帰るときには傷病者を乗せていった。(1945年7月10日撮影…

1945年 7月9日 『この島を取りに来ている強い米軍』

〝沖縄〟という米軍基地 『米軍は、無数の対住民用のビラを使って心理作戦を行なったが、「住民に告ぐ」というビラでは、要旨、つぎのように述べている。 「アメリカ軍は、支那や日本の内地を攻めるためこの島を使いたいのです。それでアメリカ軍は、マキン…

1945年 7月7日 『ハワイに送られた捕虜』

〝沖縄〟という米軍基地 読谷飛行場に駐機するジョージ・ケニーズ大将のボーイングB-17フライング・フォートレス。この写真は極東空軍指揮官が第308爆撃航空団を訪れた時に写したものである。(1945年7月7日撮影) General George Kenneys' Boeing B-17 ”Flyin…

1945年 7月6日 『軍作業』

〝沖縄〟という米軍基地 ボーイングB-29スーパーフォートレスには頑丈な滑走路が欠かせない。普天間の第2滑走路では、第806工兵航空大隊の地ならし機が長さ8500フィート、幅200フィートそして厚さ12インチの石灰岩の地表にあるくぼみを埋めている。(1945年7…

1945年 7月4日 『捕虜収容所にいた画家』

〝沖縄〟という米軍基地 嘉手納飛行場B滑走路から約50ヤードの場所にある第807工兵航空大隊ウォーター・ポイント。6×6トラックに引かれた散水車に4分の1マイル離れた小川から水が汲み上げられる。水は滑走路や道路を乾燥させないように散水される。(1945年7…

1945年 7月3日 『攻撃を受けた疎開民』

〝沖縄〟という米軍基地 物資の受取と荷下ろしをする補給部のクラスII,クラスIVのコンベヤラインとプラットホーム。(1945年7月3日撮影) Receiving and unloading platform with conveyor line, Class II and IV, Ordnance section. 写真が語る沖縄 詳細 –…

1945年 7月1日 『日本本土襲撃のための出撃基地』

〝沖縄〟という米軍基地 第2高射砲大隊が操作するSCR(シリコン制御整流器)270Dレーダーは132海里の探知有効範囲を持つ。(1945年7月1日撮影) This set of SCR 270 D radar, operated by the 2nd Anti-Aircraft Artillery Battalion on Okinawa, Ryukyu Re…

1945年 6月30日 『〝沖縄〟という米軍基地』

掃討作戦 『掃討戦は、6月30日、予定より早く、成功裡に完了した。この作戦で、米軍はまず、南部の第1作戦地域で、いまは組織もなく、孤立化した日本軍の陣地をいくつか片づけた。洞窟は火炎放射器や爆破隊のために、幾百人の日本兵が中に入ったまま、そのま…

1945年 6月29日 『続く久米島の悲劇』

〝沖縄〟という米軍基地 1945年6月29日管制塔から眺める泡瀬飛行場。7月1日の作戦までの完成をめざして作業する第36海軍建設大隊のブルドーザー、スクレイパー、ローラー。(1945年6月29日撮影) Awase Airstrip as it looked from the control tower on 29 …

1945年 6月28日 『沖縄の基地化と収容所』

戦闘後の米軍 摩文仁の丘の星条旗 日本軍が司令部を置いていた89高地での国旗掲揚式。参加者は第10軍司令官スティルウェル将軍、第24陸軍兵団司令官ホッジ少将、沖縄海兵隊司令官兼第7師団・連隊司令官ガイガー中将。(1945年6月28日撮影) Flag raising cere…

1945年 6月27日 『銃殺された久米島住民』

戦闘後の米軍 第10軍首脳陣による視察 日本陸軍第32軍総司令部(牛島中将総司令官)の置かれた89高地の壕を視察した後、海兵隊や陸軍の司令官と話すスティルウェル大将(中央)。背後にその壕の入口が見える。(1945年 6月27日撮影) Gen. Stilwell (center)…

1945年 6月23日 『第32軍の終焉』

掃討作戦 『1945年6月23日、米第10軍は、沖縄南部の日本軍第32軍の敗残兵を殲滅するために、他の軍と提携して、全面的な掃討戦を開始した。この掃討戦では、陸軍第24軍団と第3上陸軍団は、それぞれの作戦地区を担当し、作戦遂行のため、3つの段階にわけるこ…

1945年 6月20日 『方面軍からの感状』

後方で進む基地建設 米軍は、沖縄に上陸した直後から、前線では戦闘を、後方では基地建設をした。これは、日本本土への出撃基地とするため、また、沖縄での地上戦の足場として、航空基地建設、補給路確保のインフラ整備が必要なためである。 ピカピカの威容…

1945年 6月17日 『生命を助けるビラ』

後方で進む基地建設 米軍は、沖縄に上陸した直後から、前線では戦闘を、後方では基地建設をした。これは、日本本土への出撃基地とするため、また、沖縄での地上戦の足場として、航空基地建設、補給路確保のインフラ整備が必要なためである。6月15日には、普…

1945年 6月15日 『戦利品への執着』

南進する米軍 墓の外の日本人の死体。もう一体は偵察兵に引きずりだされるところ。壕内の暑さでほとんど着るものを身に付けていない。(1945年 6月15日撮影) One dead Jap already outside, another is pulled out by a Marine scout. Japs take off most o…

1945年 6月14日 『アブチラガマへの攻撃』

南進する米軍 西部〜中央戦線 国吉(くによし・くにし)丘陵 『6月14日、午前3時を期してE中隊とG中隊は進撃を開始したが、2時間後には、先頭の小隊はそれぞれ位置を確保したが、夜明けごろになって、とつぜん猛烈な砲火がおそってきて、米軍は進撃することが…

1945年 6月8日 『地域で異なる沖縄戦』

南進する米軍 西部戦線 小禄(おろく)半島 小禄半島--全焼し廃墟となった那覇飛行場の格納庫。骨組みだけとなり、日本軍機の残骸が見える。 OROKU PENINSULA -- Ruined and gutted hangar at Naha Airfield. Only the frames remain and the wreckage of a Ja…

1945年 5月18日 『まるで臭い生ゴミの山』

後方で進む基地建設 米軍は、沖縄に上陸した直後から、前線では戦闘を、後方では基地建設をした。これは、日本本土への出撃基地とするため、また、沖縄での地上戦の足場として、航空基地建設、補給路確保のインフラ整備が必要なためだ。 『沖縄と伊江島に基…

1945年 5月17日 『死者は血の海に横たわる』

後方で進む基地建設 米軍は、沖縄に上陸した直後から、前線では戦闘を、後方では基地建設をした。これは、日本本土への出撃基地とするため、また、沖縄での地上戦の足場として、航空基地建設、補給路確保のインフラ整備が必要なためだ。 『沖縄と伊江島に基…

1945年 5月16日 『沢山のブリキの兵隊』

後方で進む基地建設 米軍は、沖縄に上陸した直後から、前線では戦闘を、後方では基地建設をした。これは、日本本土への出撃基地とするため、また、沖縄での地上戦の足場として、航空基地建設、補給路確保のインフラ整備が必要なためだ。 『沖縄と伊江島に基…

1945年 5月15日 『戦闘と基地建設』

後方で進む基地建設 米軍は、沖縄に上陸した直後から、前線では戦闘を、後方では基地建設をした。これは、日本本土への出撃基地とするため、また、沖縄での地上戦の足場として、航空基地建設、補給路確保のインフラ整備が必要なためだ。 『沖縄と伊江島に基…

1945年 4月22日 『伊江島の集団自決』

南進する米軍 『日本軍の首里外郭防衛線は、中城和宇慶から牧港東方を北西に走る山脈の山塊にそって、根をおろしていた。この山脈の向こう側に、日本軍防衛陣西のとりでといわれるおそるべき浦添丘陵があるのだ。あたりをへいげいするように連丘がそびえ、そ…