インフラ整備・基地建設

1945年 8月25日 『沖縄人とアメリカ兵』

〝沖縄〟という米軍基地 航空機修理部隊の米軍艦ジェネラル・ダンカンから離陸するヘリコプター。船は水上航空兵站部で、地上に兵站部が配置されるまで、米軍の侵攻部隊を乗せた航空機の修理をしたり部品を提供したりする。この(水上)修理部隊は常時2機のヘリ…

1945年 8月24日 『阿嘉島から屋嘉収容所へ』

〝沖縄〟という米軍基地 墓の正面にある第11空挺師団第511パラシュート歩兵連隊の指令所(1945年8月24日撮影) 511th Parachute Infantry Regiment Command Post, 11th Airborne Division directly in front of an Okinawan Tomb. 写真が語る沖縄 詳細 – 沖…

1945年 8月23日 『沖縄人と米軍基地』

〝沖縄〟という米軍基地 伊江島の向かい側に位置する、沖縄本島北西端の小さな入り江に設置された哨戒魚雷艇基地の全景。前方には、地元民によって造られた護岸が見える。後方のテントは、整備員の営舎。(1945年8月23日撮影) General view of PT base loca…

1945年 8月21日 『消えた村、消えた家』

〝沖縄〟という米軍基地 第3水陸両用軍団司令部の外観(1945年8月21日撮影) View of III Amphibious Marine Corps Command Post. 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館 那覇にある物資補給所(1945年8月21日撮影)/ The Quartermaster Depot at Naha. 写真…

1945年 8月20日 『見せしめのために殺す』

〝沖縄〟という米軍基地 夜間戦闘部隊の新生タイガーキャット飛行中隊(VMF(n)533)の副隊長、ビービー少佐(ミネソタ州出身)。彼は太平洋戦での2回目の遠征である。彼の強力な新生タイガーキャット(F7F)は、夜間パトロールの準備をしている。(1945年8月20日撮…

1945年 8月19日 『伊江島に降り立った日本降伏使節団』

〝沖縄〟という米軍基地 『陸軍代表河辺虎四郎中将に率いられた総勢16名の日本降伏使節団は8月19日朝、緑十字のマークが付いている武装解除した海軍の中型爆撃機2機に乗り込み、東京湾の東岸にある木更津空軍基地から密かに出発した。 伊江島に着陸後、マッ…

1945年 8月18日 『〝終戦〟3日後の住民虐殺』

〝沖縄〟という米軍基地 嘉手納B滑走路に停留するおよそ200機のダグラスC-54スカイマスター。南西太平洋地区及び米国にある全ての基地から飛来したもので、日本や満州からの捕虜を移送する任務を負っている。輸送機のスペース確保のため戦闘機は移動し、人員…

1945年 8月14日 『宮古の沖縄戦』

〝沖縄〟という米軍基地 沖縄本島の馬天港にある海軍作戦基地指令部。下士官用兵舎、赤十字用宿舎、食堂。(1945年8月14日撮影) NOB Headquarters at Baten Ko, Okinawa. Enlisted men's quarters, Red Cross hut and chow hall. 写真が語る沖縄 詳細 – 沖…

1945年 8月12日 『魚釣島からの決死隊』

〝沖縄〟という米軍基地 フィリピン諸島ルソン島から読谷飛行場に着いたばかりのコンソリデーテッドB-32の給油の様子。この2機は日本が降伏したといううわさを聞いた後、日本上空で写真偵察中に攻撃を受けた。2機ともひどくやられたが犠牲者はなかった。これ…

1945年 8月11日 『歓喜に沸く連合国』

日本の降伏に世界が歓喜 『日本政府の対外情報発信を担う「同盟通信社」が8月10日、対外放送で、日本の降伏受け入れ意思を表明した。翌11日のアメリカ新聞各紙には「日本、降伏受け入れ」の活字が大きく踊った。連合国は歓喜に沸いた。 しかしこのニュースは…

1945年 8月10日 『ジャップ・サレンダー』

御前会議 ポツダム宣言の受諾を決意 『8月9日午後11時50分、皇居内にある御文庫附属庫。約50平方メートルほどの地下の防空壕で、昭和天皇が参席する御前会議が始まった。議題は一つ、ポツダム宣言を条件1つで受け入れるか、それとも4つの条件をつけるか。 前…

1945年 8月9日 『地獄と化した長崎』

米軍、「再度」原子爆弾を使用する 『8月9日の午前2時すぎ、原爆搭載機ボックスカー(B29)が、テニアン島のノース・フィールド飛行場を発進した。同機は北へ進路をとり硫黄島上空へ。硫黄島から進路を西にとり、屋久島上空へ到達した。そこで、気象観測機…

1945年 8月7日 『久志地区』

〝沖縄〟という米軍基地 普天間のB-29滑走路で第3誘導路の基盤用に石灰岩をどさっと降ろす第854工兵航空大隊のトゥアナプル。地ならしの後、ブルドーザーで地面は平坦にされる。(1945年 8月7日撮影) Tournapull of the 854th EAB dumping coral sand for t…

1945年 8月6日 『ATROCITIES (残虐行為) in 広島』

米軍、原子爆弾を使用する 1945年8月6日、広島に原子爆弾を投下した「エノラ・ゲイ」号の離陸前に手を振る操縦士のポール・W・ティベッツ大佐。 " Col. Paul W. Tibbets, Jr., pilot of the ENOLA GAY, the plane that dropped the atomic bomb on Hiroshima…

1945年 8月4日 『戦場でひとりぼっち』

〝沖縄〟という米軍基地 第7海軍建設大隊による飛行艇基地の建設。(1945年8月4日撮影) Construction of Seaplane base on Okinawa by 7th CB's. 4 Aug. 1945. 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館 第32軍の敗残兵 「解散命令」後の学徒たち 6月18日、第3…

1945年 8月3日 『沖縄人のための野戦病院』

〝沖縄〟という米軍基地 このサーチライト・レーダーは泡瀬飛行場上空に飛来した日本軍機を追跡する準備ができている。SCR268レーダーの技師は設備のチェックをしている。8億燭光のサーチライトは3万フィートのカーボンアーク・ビームを投げかけ、いつでも作動…

1945年 8月2日 『国頭突破するためには』

〝沖縄〟という米軍基地 高射砲隊の陣地は敵味方全ての飛行機を識別するこの観測局によって強化される。SCR584パラボラレーダーは長方形の敵味方識別装置が作動する時に追跡を開始。レーダーは中継で発信点から目標までの直線距離をコンピューターと那覇飛行…

1945年 8月1日 『生きるためには』

〝沖縄〟という米軍基地 護衛空母シェナンゴ(CVE-28)。バックナー・ベイ(中城湾)に停泊している様子。(1945年8月1日撮影) USS CHENANGO (CVE-28) at anchor in Buckner Bay, Okinawa. 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館 第32軍の敗残兵 恩納(おん…

1945年 7月31日 『米陸軍と米海軍』

〝沖縄〟という米軍基地 『陸海軍の共同作戦としておこなわれた米軍による沖縄進攻作戦は1945年7月初めには完了し、7月31日をもって、陸海軍の統合作戦は終了することとなった。その前の7月21日から23日にかけて海軍太平洋艦隊司令部と陸軍太平洋軍司令部、…

1945年 7月30日 『命を救った血漿輸血』

〝沖縄〟という米軍基地 MK-13魚雷が正確な角度で飛ぶように翼のバランスを確かめる第47爆撃中隊第41爆撃群の二人の兵士。沖縄。(1945年7月30日撮影) A couple of men of the 41st Bomb Group, 47th Bomb Squadron, are shown as they ”balanced” the wing…

1945年 7月29日 『敵がきた!敵がきた!』

〝沖縄〟という米軍基地 九州上空での任務へ向かう第7空軍第11爆撃群のコンソリデーテッドB-24リベレーター。沖縄。(1945年7月29日撮影) 7th Air Force Consolidated B-24 ”Liberator” of the 11th Bomb Group, enroute to bombing mission over Kyushu, …

1945年 7月28日 『軍事基地の確立』

〝沖縄〟という米軍基地 『米軍が沖縄に侵攻したのは、日本本土上陸作戦に向けての軍事拠点の確保が目的だった。沖縄攻略作戦は「アイスバーグ作戦」と呼ばれているが、この「アイスバーグ作戦の目的」は、「日本本土ならびに周辺海域から接近する敵海軍及び…

1945年 7月27日 『地獄から天国にきた気分』

〝沖縄〟という米軍基地 九州トゴシマ[カゴシマであろう]鉄道操車場への空襲を終えてきたばかりのコンソリデーテッドB-24リベレーター、バグズ・ボンビーJr.の乗組員。第7空軍第11爆撃群第42爆撃中隊。沖縄。(1945年7月27日撮影) Crew of the Consolidated …

1945年 7月26日 『ウルマ新報』

〝沖縄〟という米軍基地 上陸用舟艇から出るのは装置を積んだ大型トラック(6段変速6輪トラック)。写真偵察群。このトラックはこれからぬかるんだ道を通って3マイル先の区域まで移動する。本部地区。(1945年7月26日撮影) A 6x6 of the Photo Reconnaissance…

1945年 7月23日 『片手に手榴弾、片手に白い布片』

〝沖縄〟という米軍基地 航空守備軍管制センター用地内にある砂袋で覆われた航空守備軍の中枢部。内部につながる電線はレーダーでキャッチした敵の位置を受け、その情報を高射砲及びサーチライト砲兵隊へ送る。この島では航空守備軍は第2海兵師団のもと機能…

1945年 7月22日 『爆撃機は、北へ、北へ』

〝沖縄〟という米軍基地 第90及び第380爆撃群のコンソリデーテッドB-24に燃料補給する第324及び第305飛行場中隊。沖縄。(1945年7月22日撮影) Consolidated B-24's of the 90th and 380th Bomb Groups are seen here being refueled by the 324th and the 3…

1945年 7月21日 『生き埋め』

〝沖縄〟という米軍基地 ペリーマン一等兵。彼は第31海兵隊航空群兵站部で爆弾クレーンを操縦していて、日本に向かう途上、爆発物を飛行機まで運ぼうと、吊り上げて荷車に積み始めた。(1945年7月21日撮影) Private First Class Harry W. Perryman, of Newark, …

1945年 7月20日 『警部補の沖縄島脱出』

〝沖縄〟という米軍基地 読谷飛行場に降り立ち、歓迎の出迎えを受ける “ハップ” アーノルド陸軍大将。(1945年7月20日撮影) General view of Army General ”Hap” Arnold being welcomed as he stepped down from plane on Yontan Airfield, Okinawa. 写真が…

1945年 7月18日 『八原の軍作業体験』

〝沖縄〟という米軍基地 屋宜の部落に建設中の共同通信センター。手前はコンクリートの枠づくり。(1945年7月18日撮影) The joint communication center is under construction at the village of Yaji. The concrete mold is being built in the foregroun…

1945年 7月17日 『八原の脱出計画』

〝沖縄〟という米軍基地 泡瀬飛行場にある第14海兵航空群野営地の全景(北方面)。沖縄本島にて。着工から19日後。(1945年7月17日撮影) Panorama (north) of MAG-14 camp site at Awase Airstrip, Okinawa, nineteen days after breaking ground. 写真が語…